| じれったい |
練習を一旦切り上げたらしく、二階から息子が下りてきた。
「あら、蓮。今日はもうおしまい?」
「いえ、何か飲もうかと」
「じゃ、一緒に紅茶でもどう?」
いただきますと返事が返ってきた。
気がつけば他人行儀のような態度になってしまった責任は、私たちにあると思っていた。
けれど、最近は少し違ってきているようだ。
笑顔を見せるようになったし、何より、年相応の表情ができるようになってきたと・・・それでも愛想がない部類には入るけれど・・・思う。
私たち家族ができなかったことをやってのけたのは誰だろうと息子の様子を探っていると、どうやら一人の少女のおかげのようだった。
聞けば息子とは違う普通科の生徒で、ヴァイオリンも最近になって始めたのだとか。
一朝一夕でできるようになる楽器ではないだけに、最初は疑問も持ったが・・・一度学校で会ったことがあるけれど、素直そうな女の子だったと記憶している。
私や家族がいない時にこの家に出入りしているのは知っている。律儀な息子はわざわざメールで報告してきたのだ。異性が出入りすることで変な疑念を持たれないようにという考えから連絡してきたようだが、私は思わず吹き出したものだ。
「ねえ蓮」
カップに口をつけたまま、視線だけが私に返事をする。
目が合うと、何やら気まずそうに視線を逸らした。
「あなた、日野さんとはどうなってるの?」
途端、盛大にむせ返った。慎重にカップをソーサーに戻しながら、それでも止まらない。
背中をトントンと軽く叩きながら「あら、ごめんなさいね」としれっと言ってみる。
案の定物言いたげな視線とかち合った。
「あら、何か?」
咽ることも珍しければ、こんな表情を間近で見られることも早々ある機会じゃない。
私は心底楽しんでいた。
「この間から、この家で一緒に練習してるんでしょ?彼女はどう?」
「どうと言われても・・・」
落ち着くためだろう、紅茶を一口飲んで考える素振りを見せた。
「彼女の音は、技術や基礎が全くなっていなくて最初は気にも留めていませんでしたが・・・セレクションを重ねるごとに、うまくなっていくんです。その中に暖かさや優しさが感じられていて、俺はその音を大事にしてほしいと思った。だから基礎から練習をみることにしたんです」
他人と関わろうとすること自体が、その少女のおかげなのだろうと思う。
今までならきっと即座に断っていただろうから。
「彼女の家庭環境では練習すること自体が難しいんです。週末に学校の練習室を使うには許可が必要ですし。外で練習するにも、天候が悪ければ折角の時間が無駄になってしまう。だから・・・お母さん?」
こんなに饒舌な息子を見たのはいつぐらいぶりだろう・・・いや、初めてかもしれない。
じっと見つめてしまっていたらしく、蓮が顔を上げた。
「何か?」
「あなた、日野さんのこと大事なのねえ」
「・・・・・・お母さん・・・・・・」
蓮が手を額に当ててがっくりと俯いた。
「で?」
「はい?」
「日野さんとはどうなの?」
「・・・・・・今話した通りですが」
きっと息子のことだから、進展がないに違いない。
「音楽のことではなくて。彼女個人として、どうなの?」
「・・・・・・」
少し顔を赤らめて視線を外す。
そんな反応も初めて見たかもしれない。
「・・・その」
しばらく考えて、言葉を選ぶように。
「そ の・・・俺としては、とても好ましい、と思っています。音楽のことだけじゃなく、性格も素直ですし・・・俺はあまり言葉に出すのが得意ではない のですが、彼女は思ったことを何でも言うんです。それがいつも前向きで、俺は何度も彼女の言葉に助けられました。傍にいるだけで落ち着・・・何ですか」
「いえ・・・何でもないわ。ごめんなさいね、突然笑ったりして」
「・・・いえ」
自分が何を言ったのかようやく理解できたらしく、みるみるうちに顔が赤くなる。
「紅茶、ごちそうさまでした」
逃げるようにドアをパタンと閉めて出て行ってしまった。
「好ましい、ね」
彼女のことを好きだと言ったのは後にも先にも初めてだった。
息子の性格やさっきの物の言い方からすると、おそらく音楽のことだけで、世間で言う「恋人らしいこと」は何一つないのだろう。
らしいといえばらしいけれど、何だか初々しすぎてじれったく感じてしまう。
「まあ、ペースというものがあるものね」
新しく淹れなおした紅茶を飲みながら、息子の恋の行方を想ってみるのだった。
ヒトリゴト。(ブログより
突然沸いてきた「浜井美沙さん視点」ネタ。
彼女はもうちょっとスマートで痛烈にからかうだろうなと思っているのですが、何せ力不足で・・・(と逃げてみる
書いてて楽しかったです。
2010.7.3UP