| とばっちり |
大体俺のいる場所は限られている。
別にそれで構わないし、特段思うこともない。
森の広場にはかわいがってる猫たちがいるし、音楽準備室には昼寝できるスペースとコーヒーがありゃそれでいい。
そんな俺の行動パターンをすっかり読みきったこの目の前にいる女子生徒が俺を追い回さなきゃ、俺の教師生活は安泰だったはずなんだがまあ・・・そうもいかないらしい。
「だからー、先生お願いします!」
音楽準備室は珍しく賑やかだ。そう、こいつ・・・いや、日野がさっきから騒いでいるせいだ。
「断る」
「どうしてですか!」
「めんどくさい」
日野が一瞬黙った。その後、不敵な笑みを浮かべて、カバンから何やら取り出した。
「!日野、それ・・・」
「お礼にと思ってたんですが、そうですか、いらないんですね。じゃあゴミ箱に・・・」
「あー!わかった!わかったから捨てるな!」
日野が持っているネコ缶、捨てさせたら猫神様に怒られるだろ!
「・・・・・・何をしてるんですか」
ネコ缶をめぐって奪い合いをしているところへ、月森が突然ドアを開けて入ってきた。
「香穂子。騒ぎ声が隣にまで聞こえている。練習の妨げになっているんだが。迷惑なことをするなと・・・金澤先生?」
日野が月森に注意を削がれている間、そろそろと日野の手にあるネコ缶を奪おうとしていたのを見咎められてしまった。
「う。あ、いや・・・まあ、その、なんだ」
「金澤先生も、教師ならば彼女を注意すべきでしょう。一緒になって何をしてるんですか」
「一緒になんて何もしてないぞ、俺は!」
そんなのとばっちりだ。
「しかし今、現に・・・」
月森が指を差す先にあるのは、ネコ缶。
「金澤先生。教師の趣味に口出しすることではないですが、生徒と一緒になってネコの世話をしているなんて、学校側に知られたら困るのは先生ではないでしょうか。特定の生徒を贔屓にしていると・・・」
「それはない。ついでに、こいつと一緒になってネコの世話もしていない」
「ですが、先生」
春のコンクール以降からこの二人が付き合いだしたというのは何となくわかってはいたが、月森は日野に対して甘いと誰かが言っていたのを思い出した。・・・土浦だったか、天羽だったか。
俺にばかり文句を言うが、日野に対しては「練習の妨げになる」だけだ。いくらなんでもこれは俺一人が悪者になるのはおかしくないか?
「わかった、そのネコ缶は諦める。それから日野、お前さんの頼みも却下だ」
え、と日野が振り向いた。
「それこそ月森が言うように特定の生徒を贔屓にしていると受け取られかねんのでな。ということで」
めんどくさい雰囲気から早く逃げ出したくて、さっさと準備室を後にする。「金澤先生!」と日野の声が追うが、実際に追いかけては来なかった。
「っていうわけでさ、悪いんだがネコ缶はまた今度な」
タマさんを抱き上げて首の後ろを撫でてやりながら、俺はタマさんに小さく頭を下げた。
「まったく、月森のやつ・・・俺までとばっちり食らったぜ」
しかし・・・あの二人。
付き合ってるっていうが、性格も何も逆だろう。どうして一緒にいられるんだろうか。時々一緒に演奏しているところを見かけるが、その演奏スタイルだって全く違う。
いや。ひとつだけ共通点がある。
「・・・音楽」
月森の音楽は突き詰めて突き詰めて、刃のように尖った、シャープなもの。
一方、日野は明るく、誰にでも受け入れられる、温かい音楽だ。
二人の音楽は一見正反対にも思えるが、たった一つ、共通するものがある。
「哀しさ、か」
日野の音楽は明るいようでいて、実はその裏にやりきれない物悲しさを秘めている。
大事なものを失くしたことのある者にしかわからないほどに小さな、その感情。
そして月森は、両親や祖父母の名前の重さを生まれた頃から背負ってきて、子どもの頃に培われるはずだった色々な出来事や感情や思い出を、全てヴァイオリンの練習の為に失ってきた。
日野と付き合い始めてその失ってきたものの多さに気付いたのだろう。最近の月森の音楽は、時折感情的な哀しさを含むようになった。それはとてもいい方向に作用していると俺は思う。全てが音楽の糧、と誰かが言ってたっけな。
「そう、全てが音楽の糧だ。・・・まあ頑張れや、若人たち」
膝の上でタマさんがナーと相槌を打った。
2010.9.15UP