| いい加減、休んでください |
結婚式が近づくにつれ、月森と香穂子の身の回りも慌しくなってきた。
月森はウィーンと日本を何度も往復し、また香穂子が住みやすいよう環境を整えている。
香穂子はビザの手続きなどの関係で結婚後すぐに渡欧できないが、書類の手続きなどに加え、結婚式や披露宴などの打ち合わせをこなしている。
お互いもう大学は卒業しているので時間はある程度自由になるのだが、だからこそうまくいかないこともある。メールや電話でのやり取りもすれ違うことがしばしばだ。
結婚式のためにまとまった休みを取る為、月森はかなり無理を強いられている。香穂子には一切言わないが、時々疲れた表情を見せることに、香穂子は心配していた。
「ちゃんと休んでる?」
引越し準備やら諸々の打ち合わせを兼ねて、月森家のリビングにいる。
婚約中とはいえ、月森が日本にいる間でも香穂子は自分の家に帰る。
泊まったりすることもあるが、香穂子はそれを当然のように思うことはない。
結婚すればこの家も香穂子の「家」になるのだからと言ったことはあるが、香穂子はそれでも首を横に振るのだった。
「ああ、大丈夫だ」
香穂子を心配させない為の、月森の優しい嘘なのだろうと思う。
そんな嘘をつかせる為に、香穂子はいるわけじゃない。
「ちゃんと、言ってね?疲れてる時に無理させるようなこと、したくない」
「どうしても無理な時はちゃんと言う・・・ああ、すまない」
携帯が鳴った。時間からすると、ウィーンのエージェントからなのだろう。
その場で通話ボタンを押下した。
ドイツ語で何か仕事の話をしている月森に小さくため息をついて、香穂子は紅茶を淹れようとキッチンに立った。
リビングに戻ると、電話は終わっていた。
結婚式場から渡された書類に目を通している。
紅茶を置くと「ありがとう」と眼鏡の奥から優しい眼差しが向けられた。
「無理させて、ごめん」
「そんなことはない。疲れがないわけじゃないが、二人のことなんだし、何よりも一度しかないからな」
思い出に残るような結婚式にしたいからと、プランを出して打ち合わせもして。
ヴァイオリンの練習もあるし、一体いつ寝ているんだろうと香穂子は思う。
「明日は天羽さんと打ち合わせだったな」
「うん、でも・・・」
天羽には結婚式の写真を撮ってもらうように頼んでいる。式の流れや、撮ってほしい場面などを打ち合わせしてくるのだ。
一人で行くという香穂子に「大丈夫だから」と微笑んで、また書類に目を落とした。
書類をめくる音がしなくなった。
ティーカップを片付けて戻ってくると、案の定書類を持ったまま月森はうたた寝をしているのだった。
「蓮。・・・蓮」
ぱち、と月森が目を開けた。
「あ、・・・ああ、すまない。寝てしまったのか」
そうしてまた見ようとする書類を取り上げて、香穂子は仁王立ちになった。
「蓮。・・・いい加減、休んで下さい!」
少し驚いた表情で見上げた月森が、小さく嘆息し「そうだな」とあっさりと頷いた。
「君が一緒にいてくれるなら」
「へ?」
仁王立ちのまま固まる香穂子に、ぷっと吹き出した。
「君が見ていてくれないと、また無理をするかもしれないが?」
「それはダメ。でも泊まるのは・・・」
「いつも言うが、ここも君の『家』なんだ。日野の家と同じように過ごして欲しい」
「う、うん・・・」
いきなり自分の家のように過ごせないことはわかるが、そこまで遠慮しないでほしいという思いで言っているのだが、香穂子にとっては環境が違いすぎて慣れるのには時間がかかりそうだった。
「じゃあ」
と立ち上がると、おもむろに香穂子を抱き上げた。
「え、ちょっ、・・・蓮?!」
「一緒に眠ってくれるんだろう?」
そういう話だったか?などという疑問を持つ余裕すらなかった。
月森の自室へと運ばれながら、香穂子は結局自分が無理をさせているんじゃないかと大きなため息をつくのだった。
2010.7.22UP