器用貧乏とはよく言うけれど

 




 昔から大抵のことはできてしまったから、逆に「できない」という悔しさをあまり味わったことがない。
 音楽に関してはまだまだだと思うことはあっても、できないと思ったことはないし、そう思わないようにして生きてきた。
 だから、目の前の彼女が悔しがる光景を、ちょっと面白く思いながら見てしまう。

「ああああ!また間違えた!くっやしい・・・!」

 何度も同じ所で間違えて、何度も同じ注意を月森からされ、とうとう月森が何も言わなくなってもまだ間違える。
 月森としては、自分の教え方の何が悪くて彼女が弾けないのかと考えて黙り込んでいるのだが、香穂子にしてみれば「あきれられた」と受け取ったようだった。

「呆れてる、よね・・・?」

「まあ、多少は」

 何度も弾いて何故弾けないのかという教え方を思い直す以前に、ここまで弾けないとその時の様子を面白半分で見たくなってもくる。

「何が悪いんだろう?月森くんに教えられたことはやってるはずなのに」

 否定されなかったことにかなりへこみつつ、握りこぶしで小さく「頑張れ私!」と気合を入れる。

「俺もそれを考えていたところだ」

 指、ポージング、ボウイング。ゆっくりやればできるのだが、元のピッチに戻るとできない。

「肩の力を抜いているか?少し肩が上がっているようだが」

「あ、うん」

 いったんヴァイオリンを下ろし、肩を上下させてみる。ついでに何度か大きな深呼吸もしてみる。

「一度に全部をやろうとしなくていい。克服したいところを一つずつこなしていくといい」

「うん」

 まずは肩。指。ボウイング。
 何度も何度も、根気良く。
 月森はただ黙って見ている。香穂子が「次は・・・」と宣言する箇所以外にも何か気付くことがあるだろうと注視しているからだ。

「ボウが少し遅れている」

「はい」

「視線に気をつけて」

「はい」

 何度も何度も弾いて、最初の頃よりは少し改善されたようだが、全体で弾くとまだ引っかかる。

「月森くん、弾いてみせてくれないかな?」

 大体は月森がお手本に弾いてから練習に入る。どうしても行き詰ると改めて弾いてみせることも少なくない。

「ああ、構わない」

 自分のヴァイオリンを構えて、数小節前から弾いてみせる。
 さらっと奏でられたフレーズの音色にうっとりしかけて、ふるふると首を振る。
 何度か弾いてやると、香穂子が何か思いついたようだ。

「一緒に弾いてみていい?」

「ああ」

 視線を合わせて、同時に弓を引く。
 月森は少し音を抑えて、香穂子の音にも集中する。





「・・・できた」

「うまくできていたな。一人で弾いてみるといい」

「今ならできそう!」

 早速、とヴァイオリンを構え、弓を下ろす。
 今までの時間は何だったのかと笑ってしまいそうなほど、サラリと弾けてしまった。

「・・・何が悪かったのかな」

「煮詰まりすぎていたんだろう。色々と意識しすぎて逆にうまくいかなかったんだな」

「そういうの、あるかも・・・」

 何度か弾いてみるが、若干の不安はあるものの、殆どつっかえずに弾けるようになっていた。

「なんか、レベルアップの音が聞こえてきそう」

「は?」

 ううん何でもないと手を振る。
 二人で全体を通して、練習室を後にした。





「月森くんはできなくて悔しい思いをすることってある?」

 正門を抜けながら、香穂子が問うた。

「あのフレーズは今の君には難しかったかもしれないな。音楽に関しては俺はまだまだだと思う。俺の求める音楽がうまく表現できなくて悔しい思いをすることは何度もある」

「今でも?」

 ああ、と月森が頷く。
 そんなことあるんだねとかなり意外そうに呟く香穂子に苦笑してしまう。

「まだ、たった17年しか生きていない。その中で表現できる音楽など、たかが知れているだろう」

 けれど、その中でできる限り・・・それ以上・・・を目指して、日々ヴァイオリンを手にするのだ。

「これから色んな経験をしていくんだものね。そうやって音楽の深みを出していけたらいいな」

「そうだな」

 月森とてまだ技術に頼りがちなところは自覚している。けれども、曲の雰囲気だったり、感情だったり、そんな月森の中では曖昧だったものを表現してみたいと思うようになっていた。

「月森くんてさ、何でも器用にこなしちゃうイメージあったんだよね」

「俺は別に普通だが」

 普通どころか、スポーツは殆どやらないし、料理だってしない(できない、とは言わない)。
 うん、と香穂子が頷く。

「こうして一緒にいるとそれがよくわかるんだけど、それまではそういう感じがしてたよ」

 火原にバスケをやろうと熱烈に誘われていたが、実は意外とスポーツも難無くできそうな気がしたものだ。指を理由に断り続けていたけれど。

「器用貧乏ってよく言うけど、月森くんの場合は器用に何でもこなして、かつ成功してそうだね」

「何事も器用にできればいいのだろうが、俺には難しいな」

 ヴァイオリニストとして成功したいし、そういう自分を常に思い描いて弾いている。けれど自分が作ってしまった壁が乗り越えられなくて、逃げていた。その壁を直視することすら。
 香穂子に出会って、その高すぎる壁をようやく見上げることができたのだ。それを今、少しずつ乗り越えようとしている。その方法は決して器用と言えるものではないことを、誰よりも月森自身が自覚している。

「しかし、それでも俺には乗り越えなくてはならないものなんだ。正面からぶつかっていくしかできないから、器用とは言えないが」

「月森くんは、月森くんの方法があるんだもの。時間はかかっても、それでいいんじゃないかな」

 そうやって。
 香穂子が優しい眼差しを向けてくれるから。月森は自分と向き合うことができたのだ。
 逃げ続けることの愚かさを、気付かせてくれたのだ。
 にこにこと笑う香穂子に向き直る。手を出すと、素直にその手を重ねてくれる。暖かな手。
 指先に口付けると、香穂子が真っ赤になった。仕草があまりにも似合いすぎて。
 ぎこちなく顔を逸らした香穂子に小さく笑いながら、手を握りなおす。

「ありがとう、香穂子」

 きゅ、と手を握って。
 好きだよ、とさらりと言う月森にまた赤面して笑われた。

 

 

 

 

2010.10.22UP