それでも、あなただけを

 




「なんで今頃帰ってくんだよ」

 高校の頃・・・月森くんがまだいた頃だ・・・には顔を合わせると「LR対決」とか揶揄されていた二人が、また同じことをしている。

「日野を中途半端にして、自分はさっさと留学しやがって。お前がいない間、こいつがどれだけ・・・」

「土浦くん」

 お互い腕組みをして、見えない火花をバチバチ飛ばして睨み合う。

 でも珍しく折れたのは月森くんだった。

「香穂子のことを、はっきりさせないまま発ったのは俺が悪いと思っている。加地が連絡してこなかったら、今でもそのままだっただろう」

「・・・月森」

「でも俺は、きっと迎えに行くと約束した。時間がかかっても、必ず。俺が自分の足で立てるようになるまでは、香穂子には会わないと決めていた」

「そんなの自分勝手だろ。その間に誰かに持ってかれるとか思わなかったのかよ」

 月森くんが、ぐ、と押し黙った。

「土浦く・・・」

「黙ってろ、日野。こういうときにガツンと言ってやらないと、こいつには一生わからないままだぜ」

 今まで土浦くんや加地くん、他の皆にもたくさん迷惑をかけてきた。気を使わせてきた。

 でもそれは私が月森くんを想う気持ちを抑えられなかったからで。

 月森くんがこうして責めを受けることじゃない。

「いや、ある。大いにある」

 土浦くんはまだ憮然としたままだ。

「せめて、向こうに行く前に決着つけてればよかったんだ。そうしたらこいつだって、お前の名前を聞く度に動揺しなくて済んだだろう。俺たちがいなかったら、とっくに壊れてたぜ」

「・・・・・・」

 月森くんの顔がくしゃっと歪んだ。苦しいような、痛いような、今までに見たことのない表情だった。

「君に言われなくても、充分後悔している。・・・俺が『待っていてくれないか』と言えなかったことを」

「・・・月森く」

 月森くんの手が、私の腕をつかんだ。少し強い力で。

「でも、今こうしてここにいる。彼女もそれでいいと望んでくれた。だから俺は救われた。・・・自分勝手だろうと言われても、俺を救ってくれた彼女に、これから望むものを返していくつもりだ」

 今度は土浦くんの顔が歪む番だった。

「月森。ひとつだけ言っておく」

「・・・ああ」

 何かすっきりしたような二人には、さっきの苦しさは見当たらない。

 誰よりも仲が悪いようでいるけど、実際にはその逆なんだろうなと思う。

 理解できるからこそ、反発してしまう。

「今度日野に何かしてみろ。・・・黙っちゃいないからな」

「・・・ああ」

「ウィーンまで殴りに行くから、そのつもりでいろよ」

「・・・ああ」

 言い返さないのは月森くんなりに、土浦くんの思いを受け止めたからだろうと思う。

「日野」

 土浦くんが私を見下ろした。

「本当にこいつでいいのか?」

 そう問いかける表情は、まるで「お兄ちゃん」みたいだった。

「うん」

 月森くんも私を見下ろした。ちょっと恥ずかしい。

「月森くんじゃないと、ダメなんだ。そりゃ、今までのことを考えれば、別れるならそう言ってほしかったし、待っててほしいって何度も言ってくれたけど、確実じゃなかったし。私が勝手に待ってただけだったから、不安もたくさんあったよ。・・・でもね」

 私は浮かんでくる涙をこらえようと上を向いた。二人の視線が優しい。

「いつも、どんな時も。私は・・・それでも、月森くんだけを想ってたよ」

「香穂子・・・」

 オープンカフェのテーブルの下で、月森くんが私の手をぎゅっと握った。いつもは冷たい手が、少し温かい。


「わかったよ」

 大きなため息をついて、土浦くんが席を立った。

「邪魔者は退散するぜ。ああそうだ」

 ふと思い立ったかのように土浦くんが振り向く。

「俺、隣に行くことになったから」

「隣?」

 月森くんはピンときたようだった。

 私だけがポカンとしてしまっている。

「ドイツか?」

「ドレスデン。小さいオケの副指揮だけどな。そのうちベルリンフィルに行ってやるぜ」

「どちらもいい街だ。君の健闘を祈る」

「お前に言われなくても」

 心底言われたくないっていう顔をして「じゃあな」と手を上げた。


「土浦くん、留学するの?」

「留学というよりは、そちらでやっていくということだろう」

 今更気付いて、私は盛大に叫んだ。

「ちゃんと言ってくれなきゃ、わかんないよ!おめでとうって言えなかったよー!」

 月森くんが苦笑いした。

「今度会った時に言えばいい」

「あ、そっか」

「香穂子」

 土浦くんが行ってしまった後も、何となく移動しがたくて隣に座ったままの私の手を、ぎゅ、と包み込む。

 月森くんの手。

 ヴァイオリンを弾く指。

 私の、大好きな人の体温。

「いいのか?」

「何が?」

「本当に、俺でいいのか?君が俺と過ごした年月よりも、土浦たちと過ごした年月のほうが長いだろう。それに」

「いいの」

 わざと月森くんの言葉を遮った。これ以上、自分を責めてほしくないから。

「これから月森くんと過ごす年月のほうが長くなるんだから、それでいいじゃない?それに」

 一端言葉を区切る。私の気持ちをちゃんと受け取ってほしいから、月森くんの目を見た。

 綺麗な琥珀色の瞳。

 大好きな人の目に、私が映っていられる幸せ。

「私には、月森くんだけだから。いつも、・・・いつも、あなただけを想っているから」

 恥ずかしいけど、言わなければ伝わらない。

 それは、伝えられなくて苦しいばかりだった4年の間で学んだこと。


「香穂子」

 月森くんが微笑んだ。優しい笑み。

「・・・ありがとう」

 少し逡巡して出てきた言葉に、たくさんの想いが詰まっていて。

 私はその一言をずっと忘れないだろうと思った。

 

 

 

 

2010.7.25UP