| 始まりの音 |
「ヴァイオリンやりたい」
両親を見上げて、幼い瞳で真剣に訴える。
「僕、ヴァイオリンやりたい」
両親は少し考えるように顔を見合わせて、小さく頷いた。
「いいよ、蓮。楽しみなさい」
【始まりの音】
分数ヴァイオリンを初めて間近で見て、月森はぱあっと目を輝かせた。
「これ、僕の?」
「ああそうだよ。大切にするんだよ」
「うん!」
両親が奏でる優しい音色は、この楽器から生まれるんだ。
自分も両親と同じように、あんな音を奏でられるのかな。
そんな期待で心をいっぱいにして、おそるおそるヴァイオリンを手にした。
「持ち方は、・・・こう。弓はこちらを持つんだよ」
「苦しい・・・」
「姿勢が悪いとヴァイオリンを弾けなくなってしまうからね。お前は姿勢がいいから、そのまま維持するようにね」
「うん」
ポージングを教えてもらい、最初のドの音を弾くようにと言われて、元気よく弓を下ろした。
「!!」
ギーッという酷い音。こんな音は、両親が奏でる音じゃない。
涙目で父親を見つめる月森を、大きな手の平で「大丈夫だよ」と頭を撫でる。
「お父さんも一番最初はそうだった。なかなか音が出なくてね。でもきちんと練習すれば、お前もお父さんと同じように音を出せる」
「ホントに?」
「お父さんがお前に嘘をついたことはあるか?」
ない、と首を振る。もう一度頭を撫でて「練習すれば、きっといい音が出るよ」と言った。
「僕、練習がんばる」
「ヴァイオリンだけじゃなく、勉強や遊ぶこともおろそかにしてはいけないよ」
「わかった」
そうして、両親の言いつけ通り、練習を毎日頑張った。勉強もした。友達との時間はなくなっても良かった。ヴァイオリンが傍にいてくれるなら。
「お前は僕の一番の友達だよ」
小さな小さなヴァイオリンは、何も言わずにケースに収まっていた。
「練習を毎日毎日続けて、ずっと両親のような音が出せると信じていた。コンクールでそれなりの成果を残せば、あの音色を手に入れられると」
紅茶のカップを両手で包み込むように持って、月森はその中を見つめている。
「中学の頃には、どこかでわかっていた。そんなことをしても無駄だと。しかし、そこでヴァイオリンを諦めたくなかった。その頃にはもうヴァイオリンがなくては、俺はどうしていいのかわからなかったんだ」
香穂子は黙っている。穏やかな眼差しを向けて。
小さくため息をついて、顔を上げた。優しく微笑んでいる香穂子に告げた。
「ヴァイオリンを弾いていたからこそ、君に出会えた。それに、願って止まなかった音色を、君がくれた。・・・ありがとう、香穂子」
「私は何もしてないよ。蓮が手に入れた音色だもの。私はその音楽を聴いてれば幸せなだけ」
正面に座っていた香穂子が、よいしょっと腰を上げて月森の隣に座る。
「蓮がいてくれれば、それでいいんだよ」
月森の少し冷たい手。ヴァイオリニストの手。香穂子を包み込む、優しい手。
「蓮が小さい時に、一番最初の音を奏でた時から、始まってたんだね」
二人が出会い、こうして同じ道を歩む運命の歯車。
それは月森が「ヴァイオリンをやりたい」と言い出した瞬間から動き出したのだ。
「そう考えると、長かったな」
「そうだね」
「出会えて、良かった」
「うん」
月森の空いた手が重なる。お互いヴァイオリンを弾くから結婚指輪はしていない。けれども、もっと強い絆が二人の心の中にあるから、なくても構わなかった。・・・実物はケースに入れて大事にしまってある。
「これからも、よろしくね」
「こちらこそ」
穏やかに微笑みあう二人の後ろで、二人分のヴァイオリンもまた寄り添うように置かれていた。
はい、まんまです!(何ぃ・・・
高校の頃の二人の出会いを「始まりの音」とするか、一番最初にヴァイオリンの音を出した時にするかで少し迷ったのですが、二人の出会い編にすると今更書か
んでも・・・と思ったので、月森幼少編。その後一気に結婚後設定までいっちゃったので、ちょっと場面転換がわかりづらいかもしれません、すみません。
2010.12.6UP