| 信じた先の未来 |
少し遅れる。
簡潔きわまりないメールが届いたのは、香穂子が間もなく待ち合わせ場所に着くという頃だった。
どれくらい遅れるのかが記されていないが、少し、という表現を考慮してそこで待ってみることにした。
周りをきょろきょろと見渡して月森を探すが、時間を20分過ぎても連絡もなければ姿も現さない。
「電話、してみようかな・・・」
待ち合わせに遅れるとメールで寄越したということは、電話に出られる状況じゃないのかもしれないと思い直して、もう少し待ってみることにした。
「あ、月も・・・り、くん?」
遠くから姿を見せた月森がこちらへ歩いてくるのが見えた。
手を振っても気付くかどうかわからないから、そのまま注視していると。
「・・・男の子?」
男の子と手をつないで歩いてくるのだ。
4〜5歳くらいだろうか。遠目から見て、意思の強そうな眼差しが印象的だ。
歩調を合わせているから、だからなかなかたどり着けない。
遅れるとはこういうことだったのかと納得しかけて。
「いやいやいやいやその前に、なんで男の子?」
彼は誰なのだろう。
月森に開口一番聞いてみようと思った。
「すまない、遅れてしまって」
「それは連絡くれてたから大丈夫だけど・・・どうしたの?」
指をさすことこそしないが、香穂子の口調と視線がその男の子に注がれる。少し人見知りをするのだろう、月森の背後に隠れてしまう。
「あ、ごめんね、怖がらせちゃったね」
子どもにしてみれば、自分より背の高い大人に囲まれて、上から自分のことを言われているという状況はなかなか怖い印象を与えがちだ。香穂子が
しゃがんで「こんにちは」と小さくぺこりとお辞儀をした。
「わたし、かほ、っていうの。よろしくね。君のお名前は?」
香穂子、という発音は子どもには少し難しいようで、小さい頃は自分自身「かほ」と呼んでいた。
「・・・かなた」
「かなたくん!いい名前だね!よろしくね!」
香穂子の全開の笑顔に、少年の心も少し開けてきたようだった。
「で、どうして一緒にいるのかな?」
本当はウィンドウショッピングに行きたかったのだが、予定を変更して公園へ向かう。
歩き出しながら、月森に問うた。
かなた、と名乗った少年は、ずっと月森の手を握ったままだ。
「迷子のようなんだが、大人がいないと言うんだ。そこの交番に行ったんだが迷子の届け出もないし、そのまま預けようとしたんだが・・・」
月森が困ったようにため息をついた。そのため息をどこか怯えた表情で少年が見つめている。
「俺から離れようとしない。仕方がないので、一度君に状況を説明するために引き返してきた」
「何だ、電話してくれれば私が行ったのに」
子どもを歩かせるのはお互いに体力がいる。それを香穂子が指摘すると「確かに・・・」と少年を見た。
「そこまで気が回らなかった」
「うんまあかなりイレギュラーな出来事だしね」
で、どうするの?という問いに、少年がピクリと肩を震わせた。
「ずっとこのままというわけにもいかないし、ちゃんと親御さん見つけないと、向こうだって心配してるよ?」
「俺もそれを心配しているのだが、この子が何も言わないから何もできない」
「そうなんだよねえ・・・」
家に連れて帰るわけにもいかない。
しかし親は一緒じゃない。
どうしよう。
「かほねえちゃん」
ずっと下から呼びかけられた名称に、香穂子は一瞬自分のことだとわからなかった。
「・・・あっ、ああ!ごめんごめん、何かな?かなたくん」
「・・・おなかすいた」
時計は間もなく11時半。歩き回ったせいで空腹なのだろう。香穂子の上着をちょんちょんと引っ張る。
「お天気いいし、テイクアウトで食べよっか」
かなたが、うん、と頷いた。
「おいしいねえ」
「うん」
近くのカフェでテイクアウトしてきた昼食を、公園の芝生の上に広げた。
何が食べたい?と聞いたら「サンドイッチ」と返ってきたから、意外とはっきりと自分の意思は言えるらしい。
「ジュース、りんごとオレンジ、どっちがいい?」
「・・・りんご」
「はい、どうぞ」
ありがとう、と小さく礼を述べて、小さな手が伸びてきた。
大きいから気をつけてね、などと言う香穂子はすっかり「お母さん気取り」だ。
「月森くんは、何がいい?」
「俺は適当に買ってくる。ここにいてくれ」
一応月森の分もあるのだが、朝から何も食べていないという少年の食べっぷりに自分の分を差し出すことにして月森が立ち上がると、かなたの表情が途端に翳った。
「すぐそこに行くだけだ。香穂子といい子にしていてくれ」
気付いた月森がここにいるように言うと、くしゃりと顔を歪めて「・・・うん」と頷いた。
「・・・いい子だ」
月森にしては、かなり頑張った台詞だなと呑気に考えている間に、月森が近くの出店へと行ってしまった。
その背中を、かなたがずっと見ている。
「君は、どうして月森くんがいいの?」
このくらいの年齢ならば、迷子になったとしても交番に行くくらいはできそうなものである。
それをせず、月森に向かっていったのは何故なのだろう。
「・・・から」
「え?」
聞き返す為に耳を近づける。香穂子の髪が触れてくすぐったいのだろう、すこし顔を背けてしまった。
「おにいちゃん、優しそうだったから」
一見、月森の見た目は冷たいと思うのだが、この少年は「優しい」と言った。
「・・・そっか」
子どもにしかわからないものがあるのだろうと、香穂子は一度言葉を区切る。
「でもさ、おにいちゃんも夕方になったらお家に帰らなくちゃいけないんだよ。かなたくんだって、お家に帰らなくちゃ」
少年の顔が途端に歪められた。
月森がこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。かなたは海のほうを見つめているせいで、月森の姿が見えない。サンドイッチを口に持っていくフリをして「ちょっと待ってて」と手で制した。一瞬目を見開いた月森が、わかったと軽く手を上げた。
「かなたくんのお家、ないの?」
確認するようにゆっくりと問い直すが「うん」としか返ってこなかった。
「・・・どういうことかな?」
かなたは、少し迷っているように感じられた。
何かあるのだが、それを言ってしまっていいものか。
無理に聞き出すようなことはしたくないから、香穂子が話を切り上げようとしたその時。
少年の口が開かれた。
「ぼく、おとうさんも、おかあさんも、いない」
「・・・・・・」
香穂子が思わず息を呑んだ。
「お父さんは、僕が生まれる前からいないんだって。だからお母さんと二人だけだったの。でも・・・」
その母親がいなくなったのだと、かなたは言った。
「・・・これ」
少年がズボンのポケットから数枚の紙と二つの鍵を取り出した。
おそらく月森も見ていない。
それは、一通の手紙だった。
この手紙を読んでいる、心優しい方へ
この子の名前は「奏太(かなた)」と申します。諸事情があり、この子を育てられなくなりました。
どうかお願いです。
この子を育ててやっていただけませんでしょうか。
無責任な母親と言われても仕方のないことは重々承知の上です。
ですが、これ以上、私には育てられないのです。
どうか、この子を宜しくお願い致します。
手紙の最後には、駅前のコインロッカー97番、とだけ書いてあった。二つのうちの一つの鍵がそれのようだ。
「・・・もう一つは?」
奏太に聞いてもわからないだろうと思いつつ尋ねてみると「家の鍵」と返って来た。
「へっ・・・」
香穂子の間抜けな声に少し呆れたように片眉を上げたその仕草が、なんとなく出会った頃の月森に似ている。
「お家、どこなの?」
「あっち」
指差した方角は、香穂子や月森が住むほうとは反対の方向だった。
振り向いて月森を手招く。手持ち無沙汰にうろうろしていた月森が気付いて、大きなストロークで歩み寄った。
「まず、これ」
手紙を見せる。月森の瞳が大きく見開かれた。
次いで「家の鍵」を見せると、「これを食べたら家に行ってみよう」と言った。
「その前にコインロッカーだな。反対方向だから移動に時間がかかる。俺が行ってくるから、君たちはここに・・・」
「ぼくもいく!」
そう言うだろうなとは思っていたが、少しでも離れたくないのだろう、月森のジャケットを掴んだ。
結局3人で駅まで行き、コインロッカーを探すことになった。
97番、というだけの手がかりでは、数あるコインロッカーからたどり着けないと判断して、駅の案内窓口で聞いてみた。
「97番は改札の中ですね」
「・・・ありがとうございます」
月森が入場券を買って行くことになり、香穂子と奏太は駅前のベンチで待つことになった。
「奏太くんのお母さんは、どんな人?」
今更聞いてみても仕方がないのだが、せめて何か手がかりがあればという思いで尋ねてみた。
「ぼくのおかあさん、病気なんだ」
「え・・・」
聞けば、奏太を出産する際に見つかった、奏太いわく「病気の素」のせいで出産も危うかったこと。
産後は治療の為に入退院を繰り返したこと。
その間は施設に預けられていたこと。
その施設で、スタッフから「叩かれた」こと。
こんなことを淡々と話す子どもはいないだろうと思うほど、何の感情もなく。
親がいなくなったら、香穂子だったら泣き叫んだことだろう。
「おかあさん、昨日言ってたんだ」
そんな香穂子に気付いたのだろう、大丈夫だと小さな手が香穂子の手を握った。温かい手。
「おかあさんがいついなくなってもいいように『心の準備』をしておきなさいって」
だから、ビックリしなかった。
その言動から、こんな小さい子どもを置いていくことは、以前から計画していたのだろう。
その『病気の素』のせいで育てられない、ということか。
「おにいちゃん、かえってきた。・・・あ」
隣に女性がいた。
「おかあさん!」
顔色の悪い、けれど意思の強そうな瞳は奏太と同じな、だいぶ若い女性が月森に伴われてやってきた。
「ロッカーの前に立っていた」
視線でどうしたのかと問えばそんな返事が返って来た。
97番のロッカーに鍵を差し込んだ所で話しかけられたのだと言う。
「・・・本当に、すみませんでした」
「謝るなら、奏太くんに謝って下さい」
はい、と小さな声で「ごめんね」と抱きしめる。
奏太はずっと母親のそばから離れない。
「どうして、こんなことをしたのか、伺ってもよろしいでしょうか」
月森が静かに尋ねる。
いくらなんでもこんな小さな子どもを一人置いていくなんて酷すぎる。
そんな静かな怒りを秘めていた。
「・・・この子を妊娠した時に、ガンが見つかったんです」
二人が息を呑んだ。香穂子は「病気の素」としか言われなかったが、まさか。
「理由があって、相手には言えなくて。・・・この子を産むのは難しい妊娠でした。結局早産で、そのまますぐに手術しました」
しかし転移が見つかって、手の施しようがないと医者には見捨てられたのだと、母親は言った。
「あと一年、あと一年・・・そう言われながら、4年生きてきました」
施設に預けた際に虐待が発覚し、身寄りもなくてこんな乱暴な手段に出たのだと。
「公共機関でしかるべき相談をすべきでしょう」
「・・・相談した結果が、施設での虐待だったんです。もう、信用できなくなってしまって」
「民間では?」
母親が静かに首を振った。
どこもいっぱいで預かってくれない、と。
「この子が寝ている間に家を出ました。・・・死ぬつもりでした。だけど・・・」
途端に涙をぼろぼろ流す。奏太が心配そうに見つめている。母親の手をきつく握り締めた。
「こんなこと、すべきじゃなかった。最後の最後まで、この子と生きていかなくちゃ・・・って」
本当に、すみませんでした。
嗚咽交じりに、母親が深く頭を下げた。
「でも、あなたたちのように心優しい人もいる。それだけで、充分です」
別れ際、何か協力することがあれば、と申し出た香穂子に、母親は首を振った。
「もう一度、この子を預かってくれる所を探してみます。近くでなくてもいい、ここから遠くても、この子が幸せに生きていけるなら」
養子という方法もあることを月森が告げると「・・・そうですね」と微笑んだ。
「この子の・・・奏太の為に」
「・・・死ぬつもりがあったのなら、その気力を生きる力に変えて下さい。・・・もう、奏太くんを悲しませるようなことはしないでください」
月森が言った。はい、と母親がまだ涙を流した。
何度も何度も振り返り、母親は頭を下げ、奏太は手を振り、人ごみの中に消えていった。
ぎゅっと手を握って。
「・・・・・・」
未成年の自分たちには何もできない。
あの親子が、近いうちにどうなるのかわかっていても。
手を差し伸べられなかった。
「幸せに、なってね」
香穂子が手を下ろしながら小さく呟いた。
あの親子が信じた先の未来に、どうしようもなく変えられない運命が待っていても。
それを、あるがまま受け入れようとしなくてもいい、ただ幸せであってほしい。
ただ。
幸せであるように。
最後の瞬間まで、二人が笑顔でいてくれることを。
二人は祈るような気持ちで、親子が消えていったほうをずっと見つめていた。
ヒトリゴト。(ブログより
長い上に、暗いお話・・・
お母さんは結局その後亡くなってしまいますが、奏太くんは養子先で幸せに暮らしています。
そんな気持ちで書きました。
2010.11.26UP