湖の底で

 




 ずっと遠くで、水面がゆらゆらとうごめく。

 真っ暗な湖の底で、横たわる自分のずっとずっと遠く、水面までの距離よりも遠い向こう側で、誰かが呼ぶ声がする。

(このまま眠りたい、のに)

 その「声」は、今の眠りを妨げようとしている。

 けれどこのまま眠ってしまうわけにはいかない、とどこかで警告も聞こえる。

 この気持ちのいい眠りの中にずっといられたら、どんなにか・・・

 

「……月森くん!」

 はっと目が覚めた。周りを見渡すと、いつも見慣れた自分の部屋で。

「香穂、子?」

 そして見慣れた恋人の顔。なぜここにいるんだと大きく顔に書いて見つめると「ごめんね、勝手に入ってきちゃった」と申し訳なさそうに肩をすくめた。

「だいぶうなされてたから、起こしちゃったんだ。熱、また上がったみたいだね」

 熱、と聞いて、ああそうかと思い出した。

 季節の変わり目、特に梅雨の季節は体調を崩しやすいとわかっていながら自己管理が行き届かずに風邪を引いたのだ。一度は下がった熱が、まだぶり返したのだろう。

 体温計がピピピ、と検温の終了を知らせた。ちょっと失礼、と香穂子がデジタルの数字を覗き込み・・・顔をしかめて黙り込んだ。

 熱があるときにその数字を聞くと余計に具合が悪くなることがあるから黙っておこうとしたのだろう、少しだけ心配そうに月森を見ると体温計をしまいこんだ。

「何か食べたいもの、ある?」

 月森が少し考えて「・・・冷たいもの」とだけ答えた。わかったと部屋を出て行った香穂子の背中を見送って、深く息を吐き出した。

 

 湖の底。深く、深く沈んでいく自分。ずっと眠っていたいと思う自分と、眠ってはならないと思う自分。

 口から僅かずつ吐き出される息がコポコポと浮き上がっていくのを、沈みゆく月森はただ見つめているだけだった。

 冷たさも感じなかった。ただ、包み込まれるように気持ちがよかった。

 ずっと水底でたゆたっていたいと願う自分を呼ぶ声で、目が覚めた。

「お待たせ、月森くん」

 コンコンとノックの音がして、香穂子が戻ってきた。

 トレイの上にはイオン飲料とゼリーと薬が乗っていた。

「だいぶ汗かいたみたいだから、水分補給ね。はい、どうぞ」

 ありがとう、と受け取ってこくこくと飲み干す。全部飲みきった所でゼリーを渡された。食べさせてあげようか?と心配そうに覗き込むのを「一人で食べられる」と断り、スプーンを手に取った所で、ふと気付いた。

「・・・あれは、君だったのか」

 夢の中で必死に呼んでいた声。そのまま眠ってはいけないと、目を覚ましてと縋るように。

「何のこと?」

「・・・夢を、見ていたんだ。深い湖の底で眠りたいと願う俺に、このまま眠ってはいけないと呼ぶ声がした」

「確かに月森くんのことは呼んでたけど…月森くんが見てた夢のほうが気になるよ」

 水の底へ沈んでいくのは、少しの不安と、大きな安らぎ。ふわりを月森を包み込む感触が残っている気がして、思わず、ふ、と息を吐いた。

「湖の夢って、安定を求めてるんだって」

 水面が荒れてるようならまた意味は違ってくるけど、と香穂子が言った。

「月森くんは『安定したい』と思ってるってことだね」

 そうなのだろうか。

 そう、なのかもしれない。

  この十数年生きてきた中で、香穂子に出会ってからの数ヶ月で何もかもを覆された。自分が欲して止まなかった音色。自分を通して透かし見られる家族。色々な ことがあって、色々な所を彼女によって変えられた。けれどそれはいい意味での変化を月森にさせた。そうして今の自分がいる。

 今までの自分のヴァイオリンは、ある意味で「安定」していたと思う。技術力の上では。ただ一つ、誰にも言われていた表現力の変化を、香穂子は月森にもたらしたのだ。そうして月森は、今までとは全く違う「安定」を得た、と思う。

 けれどこれ以上、何の安定を求めようというのだろうか。自分の何が、不安定なのだろうか。

「・・・俺は、これ以上、安定を求めてもいいのだろうか。・・・君に」

「うん?」

 ヴァイオリンに対する向上心は別として、彼女に対する態度や色々な事を。

 ゼリーを手にしたまま黙り込んだ月森に「食べちゃったら?」と促して、香穂子もペットボトルのフタをからからと開けた。

「熱が上がったからそんな夢を見ちゃったのかもしれないし。今はとにかくよく寝て、しっかり治してね」

「・・・ありがとう、香穂子」

 よく見たら制服のままだ。学校は、と問うと「さぼった」と小さく舌を出した。

「お叱りは熱が下がったらばっちり受けますから!今は月森くんの熱を下げることのほうが大事だよ」

 翌日、学校への道すがら、ずっと叱られっぱなしだったことを付け加えておく。

 

 

 安定など、いらないと思っていた。

 馴れ合いの中で生まれるものなど何もないし、得るものなどないと。

 ヴァイオリンの技術を向上させるためには「安定」こそが一番不要なものだと。

 そう、思っていた。

 技術を磨くことは今でも一番大事だと思っている。けれども、香穂子が傍にいるようになって、月森の中で何かを求める気持ちも出てきたことは事実で。

 彼女の隣にいる時は安らぐ気持ち。心が穏やかでいられる安心感。時折言い合いもしないではないが、それはいつも月森に何かを気付かせてくれる。

 安定、とはイコール馴れ合いではないことを、香穂子と一緒にいるようになって知ったのだと今更ながらに気がついた。

 傍にいること。

 それで得た力を、ヴァイオリンへと向かわせればきっといい音になる。

 

 湖の底で見た夢は、月森に新しい発見をもたらしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

ヒトリゴト。

 中途半端な・・・(がっくり

 本当は違うネタになるはずだった、んです、が・・・どこで間違えたかな(書いたの私

 そして中途半端な仕上がりで・・・すみません・・・書き直し、したひ・・・(泣 でもUPする

 

2011.6.6UP