| Auch wenn es nicht wahr wird. |
誘ったのは土浦だった。
ファンだと公言する、浜井美沙のコンサートチケットが4枚取れたと言うのだ。
ピアノ教室をしている母の伝手で手に入れたチケット。無駄にしたくないからと珍しく押し切り、土浦、香穂子、加地、天羽の四人で出かけることになった。
遠出をしなければならない場所だから、皆大学は午後からサボって、大学の校門で待ち合わせ。
香穂子が着いた時には既に皆揃っていた。
「香ー穂!遅いよー!」
天羽がぶんぶんと手を振る。ごめんごめんと小さく手を合わせた。
「次の講義の代返頼むのに大変で」
「悪かったな、日野。サボらせちまって」
「ううん、いいの。勉強にもなるし。だから気にしないで」
ああ、と少し決まり悪そうに土浦が俯いた。
「じゃあ行きますか」
加地がぽんと二人の肩を叩いた。
「後で美沙さんの楽屋にご挨拶に行こうか」
「ええっ?!・・・っていうか、加地、美沙さんって・・・」
ああ、言わなかったっけ、と目を丸くして土浦を振り返る。
「僕、個人的に知り合いなんだ。正確には、母が、だけどね」
加地の母はヴァイオリニストだと聞いたことがある。旧姓で活動しているから加地姓ではないせいでふと忘れがちになる。
「デュエットとかで組むことも何度かあったみたい。いつも思うけど、あの月森のお母さんとは思」
「加地!」
土浦が小さく舌打ちした。
月森の名を聞いただけで俯いてしまった香穂子を見て慌てて弁明しようとするが、既に遅い。
「・・・ごめん」
「ううん、いいの。私のほうこそ、ごめん」
「なんで香穂さんが謝るの?何も悪いことしてないじゃないか」
「そうかもしれなくても、ごめん。・・・皆に気を使わせてばっかりだね、私」
四人の間に、沈黙が訪れる。
電車の中で、しばらくの間、気まずい雰囲気が漂っていた。
昼食を食べた後、少し時間があるから各々好きなように過ごして、会場前で待ち合わせすることになった。
「僕、行く所があるから」
てっきり香穂子についていくと思っていた土浦と天羽は内心驚きつつも加地の背中を見送る。
少しヴァイオリンを弾いてくるという香穂子には天羽がくっついていき、土浦は仕方なく、近くのCDショップを覗きにいくことにした。
席に着く。そこそこ良い席だ。
「君のお母さんの伝手、グッジョブだね」
「・・・お前がそんな言葉言うとは思わなかったぜ・・・」
「そう?」
お手洗いに行っている女性二人を待つ間に、加地が小声で言った。
「実は、アポ取ってあるんだ」
「・・・マジで?!」
土浦が目を丸くした。コンサートの後で美沙に挨拶したいと頼んだら、二つ返事で了承をもらったのだと言う。
「花束持っていくと香穂さんにバレちゃうから」
「・・・チョコレート」
有名な洋菓子店のロゴが小さくあしらわれた紙袋を持っていた。
先ほど個人行動した時にさっさと姿を消したのはこれを買うためだったのかと納得する。
「お前、そういう気配り、得意だよな」
「そう?普通だと思うけど。そういう土浦こそ」
レセプションで渡してくださいと頼んでいた小さな花束。
贈り主もわからないくらいのものだから、きっと他の豪華な花たちに埋もれてわからないだろうけれど。
「さすがに大きいのは恥ずかしくてな・・・」
「土浦だったら、カサブランカなんて似合いそうだね」
「何の話だ?」
いやいやこっちの話、とにやりと笑ったところで、女性陣が戻ってきた。
「なーにを男二人で顔くっつけてコソコソしてんのよ。気持ち悪い」
「顔くっつけ・・・てねえ!」
「まあ、男の友情を確かめ合ってたところで」
「加地!」
悪ノリするな!と土浦が言いかけた所で、開演のブザーが鳴り響いた。
「いいコンサートだったねえ」
天羽が清々しく伸びをした。
「心が洗われる〜って感じ」
「美沙さんの演奏する音は、清らかだよね」
「そうだよな」
口々に褒めながら座席を立つ。
加地が土浦に目配せした。
天羽と香穂子はまだ知らないのだ。この後、楽屋に行く話を。
「ところで、天羽さん。香穂さん」
「どうしたの、加地くん?」
クラークでヴァイオリンを預けていた香穂子が、番号札を片手に隣にいた加地を見上げる。
「二人とも、この後の予定は?」
「私は帰るだけだけど」
「私も」
「二人とも大丈夫だね。香穂さんはヴァイオリン取ってきてくれるかな」
うん、と香穂子が頷いてクラークへ向かう。
天羽が片眉をピクリと上げた。
「何企んでんの?」
加地が大仰に肩を竦めてみせる。
「やだなあ天羽さん。企むだなんて」
「・・・いや、『企む』だろ、あれは」
ということは土浦も知っているということだ。
天羽が「言いなさいよ」と両手を腰に当てた。
「お待たせ」
香穂子が戻ってきた。
「クラークが混んでて手間取っちゃって・・・で、これからどこかに行くんでしょ?」
うん、と加地がにっこり頷いた。
「実は」
「加地様」
唐突に後ろから声をかけられた。しかも「様」つきで。
驚いて四人が声のしたほうを振り返ると、男性が立っていた。
「加地様、ですね。お友達の方もご一緒に、こちらへ」
「なんか、イイとこ取られちゃった感じ・・・」
「そこかよ・・・」
男性の後ろをついて歩きながら、加地がげんなりと呟いた。
男性は「STAFF ONLY」と書かれたドアを開けて中へ入っていく。そこで初めて香穂子が気付いた。
「ねえ加地くん。もしかして・・・」
「お早く」
男性が急かす。長いことドアを開けていると、ファンが入ってきてしまうからだ。
急かされるまま中に入り、通路を歩く。カツカツと足音だけが響く。
香穂子の顔色が少しずつ悪くなっていくのを、心配そうに天羽が見つめていた。
コンコンとノックの後「どうぞ」と柔らかな声が返ってきた。
「・・・やっぱり帰」
「どうぞ」
男性がドアを開けて、四人を招き入れた。
その先に待っていたのは。
「こんばんは、葵くん。土浦くんに天羽さん、日野さんも」
浜井美沙が衣装のままでにっこり笑った。
「皆、元気そうね」
「ご無沙汰しています、美沙さん」
「あら、葵くん、覚えててくれたの?」
それはもちろん、などとにこやかに談笑する加地の後ろと隣で、他の三人が見事に固まった。
土浦は一度しか会ったことがないのに名前を呼ばれた事の驚きと嬉しさで。
香穂子は恋人だった青年の母が目の前にいることへの動揺で。
天羽は、一度も会ったことがないのに名前を呼ばれたことへの驚きで。
三種三様に固まっていたのだった。
座るように勧められて、ソファに座る。
「今日は遠いところをありがとう。楽しんでもらえたかしら?」
四人揃って「はい!」と返事をして、美沙がぷっと吹き出した。
「仲もいいのね。そのくらいの元気がうちの息子にもあればいいのだけれど」
「・・・月森は、あ、いや・・・」
「いいのよ、男の子から『くん』なんて付けられるような柄じゃないでしょう?」
くすくすと美沙が笑う。思わず今までのように呼び捨てで呼んでしまった土浦が顔を真っ赤にして俯いた。
「・・・元気ですか?」
加地が尋ねると、ええ、と美沙が笑いが止まらないまま頷いた。
「ただ・・・」
それまで俯き加減で座っていた香穂子が顔を上げた。それを横目で見た美沙が、小さくため息をついた。
「向こうの大学ももうすぐ終わりなのだけれど、もっと勉強したらどうかと言われているんですって」
「ということは?」
院に行くということね、と美沙が言った。
「でも迷ってるみたいなの。時期が時期だから結論を急がなくてはならなくて」
「どうして美沙さんに相談を?」
「珍しいでしょ?中学の時に高校をどうするかで相談されて以来よ。・・・一応、授業料の心配をしたからのようだけど」
その授業料とて安いわけではない。院ともなれば尚更だ。
一応その心配をして連絡をしてきたようだが、迷う理由は別にあるのではないかと美沙は言う。
「ああいう性格の子でしょう。院に進めるのなら、迷わないはずだわ」
「・・・確かに」
天羽が頷いた。
「迷うのなら、その迷う理由を解決しなさいとは言ったのだけれど」
「・・・月森は、何て返事をしたんですか?」
「なーんにも」
困った子だわと肩をすくめた。
「最近、現地の会社と契約を結んだの。だから仕事との兼ね合いもあるとは思うけれどね」
大きなコンクールで優勝した話題は、星奏だけでなく日本でもそこかしこで聞くことができた。
「契約しておいて、学費がどうのなんて?」
「ふふ、おかしいでしょ。何か他に言いたいことがあったと思うけれど、そちらのほうにばかり気が行ってしまって、学費がどうだとかっていう言い訳しか思いつかなかったみたいでね」
言外に香穂子とのことを言っているのは、四人全員が理解できた。
「だから、言ったの。『あなたの好きなようにしなさい』ってね」
香穂子が弾かれたように美沙を見た。
メッセージを正確に汲み取ったことを知った美沙が、香穂子と目が合うなりにっこりと笑った。
「でも臆病だから、あの子。あの様子では本当に院に行きかねないわ」
その言葉だけが棘のように刺さって、香穂子はその日なかなか寝付けなかった。
一方、加地は。
一枚の紙片と睨み合いを続けていた。
楽屋を出る際に美沙から渡されたそれは、月森が現地で使っている携帯の番号だった。
「あなたにしかできないことだから」
紙片を手の中に握らせながら、美沙が小さく囁いた。
「あの子を、お願いね」
「誓ったじゃないか」
紙片に向かって一人ごちた。
「僕は、月森を想ってヴァイオリンを弾く香穂さんを好きになったんだ」
その音色は自分に向けられたものではない。
月森がウィーンへと旅立って、もしかしたら自分のほうへ向いてくれるかもしれないという淡い期待は、脆くも崩れ去った。どんなに辛そうにしていても、香穂子は月森を忘れられないことを知った。
その時に、再び誓ったのだ。
傍にいられるのなら「友達」という肩書きさえ充分だと。
そう、誓ったじゃないか。
もう叶わない想い。
綺麗に隠しおおせてやろうと。
それでも溢れ出しそうになる想いを、加地は捨てきれない希望と共に託すのだ。
毎日、彼女の甲に口付けることで。
それができなくなることと引き換えに、二人がうまくいくのなら。
「・・・何だってしてやるさ・・・!」
受話器を取った時、既に外はうっすらと白み始めていた。
ウィーンは夜だ。
この時間帯にアパートにいることは、美沙から聞いて知っていた。
「最高の道化師になってやる」
数度のコール音の後、懐かしい声が聞こえた。
「Hello?」
懐かしさなんて後回しだ。
遠すぎる距離を、近すぎる距離にしてやる為に。
・・・見てろよ、月森。
僕のギャラは高くつくってことを、身を持って知ってもらうから。
「君が迎えに行かないのなら、香穂さんは僕がもらうからね」
ステージの幕開けだ・・・!
ヒトリゴト。(ブログより
で、「きみにあいにゆくよ」へ続くのです。
これ、ネタとしてはあったのですが、中々書けず・・・私的にはスッキリしましたです。
タイトルの意味は「叶わなくても」。
加地の想いが香穂子へ通じなくてもいい、友達として近くにいられるならそれでいいじゃないか、という一言を書きたいがためのお話でした。
2010.11.14UP