Ein Lied fur Sie. |
大学に入って、目新しさもなくなってきた頃。
講義で作曲の授業があった。
星奏の高校でも作曲などの授業はあるが、大学でも行われている。
課題は、自分の専攻楽器をメインにして、少なくとも二つ以上の楽器を入れて、3分半以上5分以内。更にそれを実際に演奏してみせなければならないから厄介なことこの上ない。
ヴァイオリンだけ弾いていれば良かった高校時代とはまったく違う講義は、香穂子の頭を十二分に悩ませているのだった。
星奏の大学部に入学する人間は、その殆どが高校からの持ち上がりだ。だから基礎はできていると踏まえた上での講義内容になる。音楽的な基礎は月森がある程度教えてくれていたとはいえ、本当に「お子様レベル」だったんだなと今になってよくわかるようになった。
「でも、月森くんには感謝だよ」
雲ひとつない青空を見上げて、遥かウィーンにいる月森に向かって呼びかけた。
「全然知らないのと、少しでもわかるのとでは、大違いだもんね」
「そりゃそうだよね」
驚いて顔を戻すと、目の前に加地が立っていた。
「おはよう、香穂さん」
「・・・お、おはよう・・・」
驚かせてごめんねと手を合わせて、すまなそうに小さく頭を下げた。気にしないでと手をぶんぶん振ると、その手を取って、いつもの「挨拶」。
「・・・加地くん・・・」
「あーいや、ごめんね。香穂さんが嫌だって前にも言ってたんだけど、もうクセで・・・」
香穂子の指先に小さくキスをする癖は、恥ずかしいから止めてほしいと再三お願いしているのだが、わかっているのかいないのか(香穂子は絶対に忘れたフリをしていると思っている)、こうやってまた「挨拶」してくるのだ。
爽やかに「ごめんね?」と言われてしまえば、それ以上何も言えないから、喉まで出かかった文句をどうにか飲み下す。
「で?」
「え?」
「全然知らないのと、少しでもわかるのとでは大違いっていう話」
「ああ・・・」
カフェテリアへ向かって歩きながらかいつまんで話すと「なるほどね」と頷いた。
「でも大学に入って、香穂さん頑張ってるじゃない。僕や土浦もほとんどアテにしないでさ」
「だって自分でやらなきゃ覚えないし」
どうしてもわからない所や、手伝ってほしい時は・・・主に演奏で・・・土浦や森、学部が違う加地にまで手を貸してもらっている。クラスの人にも手伝って
もらえないわけではないが、大半を占める高校からの持ち上がり組はあまり協力的ではない。そんな環境の中で香穂子は奮闘しているのだ。
「今回は、僕の手伝えることはあるかな?」
「大いにありますよー」
なんたって作曲の編成楽器にヴィオラを入れたのだから。
「・・・確信犯?」
「えへへへへ」
文学部に入った加地がヴィオラを弾く珍しさは学内でも有名だった。本人はあまり気にしていないようで「香穂さんの為なら何でもする」と平然と言い切っている。それをあまり利用したくはないのだが、協力してくれるメンバーが他にいないのだから仕方ない。
「後の楽器は?」
「ピアノだけど、森さんがやってくれるって」
「それなら安心だね」
高校の学内コンクールで香穂子の伴奏を務め、アンサンブルでも時折組んだから、お互いのクセや呼吸はよく知っている。
「楽譜がね、もうちょっとで出来上がるんだけど」
「できてるところまで見せてもらってもいいかな?」
うん、とファイルから取り出し、まだ清書していない楽譜を受け取った。
時々鼻歌のように口ずさんでみる。香穂子はそれを審判が下されるような表情で見ていた。
「・・・・・・ふーん、・・・いい曲だね」
「ホントに?ありがとう」
「真ん中だけできてないんだね」
「うん。ざっとしたメロディはあるんだけど」
そこで口出しされることを良しとしないのはわかっているから、加地も話題を変えてやることにする。
「ねえ香穂さん、後で駅前に新しくできたケーキ屋さんに行ってみない?」
「そういえばさ、今朝の続きだけど」
待ち合わせ場所に行くと何故か天羽が待っていて、三人で来ることになったカフェで、食後のコーヒーを飲みながら加地が口を開いた。
「タイトル、決まってるの?」
「え」
五線紙には、タイトルがつけられていなかった。・・・正確には、「消されていた」。
そのタイトルを知りたいと思うのは興味も多分にあるが、一度書いて消すほどの言葉の意味を、知りたかった。
まだ決めてない、と言われればそれまでだが。何となく答えてくれるような気がした。
「・・・Ein Lied fur Sie.」
「聞いた感じ、ドイツ語っぽいけど?」
天羽の問いに、うん、と頷くだけで、意味を言わない。けれど加地にはわかってしまった。
まだ忘れていないという、その心を。
香穂子の中に住み着いている、月森の残像を。
今でもまだ、忘れられないとはっきり最後通牒を渡された気がした。
「・・・なるほどね」
香穂子の目の前に現れた時点で自分のポジションはもう決まっていたし、それで良いと思っていた。・・・思い込んでいた。
月森がいなくなったことで「友達」から「友達以上」にランクアップするんじゃないかと淡い期待もしていたけれど。
今それがはっきりとしたわけだ。
「何よ、教えてくれたっていいじゃないの」
「えー?」
まだ決まりじゃないからと逃げる香穂子に天羽も何かに気付いたらしく、ちらりと加地を見る。小さく頷くと「・・・じゃあ、機会があったらいつか辞書で調べてみるわ」と言うにとどめた。
楽譜は出来たらすぐにコピーしてもらう約束をして、カフェでそれぞれ別れた。
駅に向かう道すがら、天羽が口を開いた。
「ねえ加地くん。あのタイトルの意味って、やっぱり、あれなの?」
「うん、あれなんだよね」
「・・・なあるほどねえ・・・」
一人反対方向の香穂子とはカフェで別れたから、先ほどの疑問をぶつけてみた。
「ちなみに、意味は?」
「・・・『あなたの為の歌』」
天羽がしばらく絶句して立ち止まる。それなりに人通りの多いところで立ち止まると邪魔になるからと天羽の背中を押して歩くように促してやった。
「メロディも、なんていうかラヴソングって感じだったよ」
「・・・やっぱり、まだ忘れられないんだね」
「みたいだね」
わざとため息混じりに言うと「残念だったね?」と天羽が舌を出した。
「いいんだ、僕は。香穂さんの隣にいられるなら、友達以上になれなくたって」
「・・・加地くんって」
自分から痛い目に遭いたいタイプ?と真面目に聞かれてしまった。
「他の事はむしろ自分から攻め込むけど、香穂さん限定だよ」
「それこそ」
言いかけた言葉を「あーもーうさん!」と遮る。・・・今自覚したのだから、更に自分で傷口に塩を塗るような真似をしたくない。
駅に着いた時点で電車がホームに入ってきた。天羽が「私あれに乗るから!じゃあね!」と駆け出していった。
「あなたの為の歌、か」
忘れられない月森の残像を曲にして、まだ大事に抱えていたい香穂子の気持ちに、加地が今入り込む隙はない。
月森や自分たちが大学を卒業するあと三年と少しの間。
自分は友達として香穂子の傍にいよう。月森を想う彼女を支えよう。
それで香穂子が辛くて泣くのなら、自分は喜んで止まり木になろう。
大学を卒業すれば、何かしらの決着はあるだろうから。
乗るはずだった電車を何本も見送って、加地はずっと遠くを見ていた。
ヒトリゴト(ブログより
すみません長くって・・・(土下座
しかもまたしても香穂子サイドから加地サイドになってるし!
カテゴリ「きみにあいにゆくよ」でたった一言だけ触れていますが、加地が友達でいようと決めるきっかけ話がこれです。っていうか、そうなったというか(おいおい
香穂子サイド編、曲の出来上がり編なんかも書けたらいいなあ・・・って自分で自分の首を絞めてる気がしないでも、ない(汗