| あっ・・・そこっ! |
まただ。
時折、顔をしかめて辛そうにしている。
そのときは明らかに音がおかしい。
「どうした?」
「え?」
「どこか痛むのか?」
あっ、と小さく声を上げて、日野が口元に手を当てた。
「・・・なんで?」
「聞いているのは俺のほうだ。どこか痛むのなら保健室に・・・」
「ううん、大丈夫」
「大丈夫なわけがないだろう。君が辛そうな顔をしている時の音は、明らかにおかしい。そうしてまで弾かな・・・」
言いながら気付いた。もしかすると。
「・・・肩か?」
驚いた表情で彼女が一歩後ずさった。やはりそうなのか。
ヴァイオリンは意外と不自然な体勢で演奏する。きちんとした姿勢でなければ、肩凝りや、肩凝りからくる頭痛などが引き起こされる。それでヴァイオリンを諦めた人間をたくさん見てきた。
「そこに座ってくれ」
「へっ?」
「ヴァイオリンを置いて、そこに座れと言っている」
軽く弦を緩めてケースに戻す。日野も同じようにして戻したのを確認して、ベンチに座らせた。
「少し痛いかもしれないが」
彼女の背後に回りながら言うと、何をされるのかようやく悟った日野が慌てだした。
「え、いいよ、月森くん!私なら大丈夫だから!」
「大丈夫じゃないから、あんなに辛そうにしているんだろう?いいから大人しくしていてくれないか」
失礼、と一言断って、肩に手を置く。ピクッと肩が揺れた。
軽く撫でて様子を見てみる。ひどくはないが、両肩にしこりのような凝り固まった場所がある。
それをわからせるように少し力を入れると、日野が小さく呻いた。
「う・・・っ」
「すまない、日野。痛むか?」
あまり力を入れたつもりはなかったのだが・・・。それだけ酷いということか。
「う、ううん、大丈夫」
「できるだけ力を入れないように気をつけるが、ひどいようなら言ってくれ」
「で、でも・・・」
「いいから、日野」
肩凝りは一気に解消されると、逆に気分が悪くなったりする場合がある。停滞ぎみだった血流が、マッサージによって良くなりすぎて逆に頭痛が酷くなることもある。
本当に軽く、そして少しずつ。撫でるように肩のしこりをほぐしていく。
最初は体を硬くしていた日野が、少しずつ力を抜き始めた。
「すっごく気持ちいいよ、月森くん」
「そうか」
俺にも経験があるから、その時を思い出しながら。
全体の血流を良くするために、時々肩から腕や背中にも掌を滑らせる。
何度か繰り返している内に、時々ふうっと息を大きく吐き出すようになった。
だいぶ良くなってきたようだ。
そろそろ終わりにしようかと首筋に手を当てたその時。
「あ、・・・そこ!」
日野が小さく叫んだ。
その声が・・・いつもの日野らしからぬ、艶を帯びていた。
「!!」
お互いに体を離す。
日野も自分の声音に驚いているようだった。
俺はといえば。
間近で聞いてしまったせいもあり、狼狽してしまっていた。
自分の手で、女性にそんな声を出させたのだ。
しかも、自分が密かに想う相手に。
一瞬、勘違いしそうになる自分がおかしかった。
そんな声を出させるのは自分だけでいいと。
「ご、ごごごごごめん!」
「・・・いや」
女性の体を触っていた、という事実に初めて気付いた。
肩凝りを解消してやらなくてはという思いだけが先行していたから、一番最初に気遣ってやれなかった自分が浅はかだったのだ。
「俺のほうこそ、すまなかった」
有無を言わせずに、こんなことをしてしまって。
「月森くんが謝ることないよ!おかげですーっごくラクになったよ」
ありがとう、といつもの笑顔が戻ってくる。
あまり気にするのも失礼だから、俺も先ほどのことはなかったことにしようと思った。
「そう言ってくれれば、俺も嬉しい」
調弦をして試しにスケールをさらう。
弓を下ろすと、日野が嬉しそうに笑った。
「かなりラクになったよ。ありがとね、月森くん」
「いや。・・・しかし、肩凝りの原因になるものがあれば修正しておかなければならないな。もう一度基礎から確認してみよう」
「うん」
今日の練習はひたすら基本中の基本をさらうことに宛がわれた。
その単純なフレーズは、お互い心のどこかで先ほどの一件をなかったことにするためにはちょうどいい単純作業だった。
ヒトリゴト。(ブログより
誤解じゃないよね、これ。ぅぅぅぅ・・・・・・
2010.3.21UP