| maestoso 〜君からの贈り物〜 |
「いってらっしゃい」
いつものように送り出してくれる香穂子に「いってくる」とこれまたいつものように言ってアパートを出た。
今日は市内のホールでチャリティーコンサートがある。時間があれば見に来るといいと言うと「行く!」と即座に返事が返ってきた。だから後でまた会うことになっている。
マネージャーの運転する車に乗り・・・月森もできないわけではないが、仕事の時はマネージャーが運転する・・・、ホールへと向かう。
「カホコさんは一緒ではないのですか?」
「後から友人と来るそうだ」
「そうですか」
普段はあまり月森の仕事振りを見ることがないから、とても楽しみにしていた。
チャリティーだからギャランティは発生しない。けれども、スケジュールが合えば時々参加するようにしている。
王崎の影響なのだろうか、こちらに来てからチャリティーなどのイベントにもちょくちょく出ようと思うようになった。
福祉に関してはヨーロッパは世界の先を行くということもあり、こういった催しは頻繁に行われている。
小さなものから、大きなイベントまで、その内容も多岐に渡る。
ウィーンに来た当初は興味をもてなかったが、大学を卒業する頃に友人たちと演奏を披露して以来、音楽を純粋に楽しむ人々の様子を見て考えが少ずつ変わってきた。
コンクールやお金を払って見るコンサートも必要だろうが、ただ音楽を楽しむということも大切なのだと。
ヴァイオリンを初めて間もない頃の自分の気持ちを思い出すことができるから、チャリティーに出ることは自分にとっても意義深い。
「蓮さん、時間です」
コンコンとノックの後、マネージャーが顔だけのぞかせた。わかったとだけ返事をすると、来た時と同じように静かにドアが閉められた。
目を閉じる。
(完璧に弾きこなす)
そして、一度だけ大きく深呼吸をする。
控え室のドアを開けると、いつものようにマネージャーのロータスが静かに佇んでいた。
係員から入場の合図が出された。
一歩を踏み出したとき、ロータスが珍しく声をかけた。
「楽しんできてください、蓮さん」
「・・・ああ」
いつも演奏前は必要以上に話しかけることをしない人なのに、今日は珍しいなと思いつつ、印がつけられたところで歩みを止めた。
幼い子どもがいるのだろう、声がそこかしこで聞こえる。それにうろたえることなく、月森はヴァイオリンを肩に当てた。
弓を下ろせば、そこには一人の「演奏者」。
日本人の若い音楽家が広いステージに立ち、本場で耳慣れしている聴衆を黙らせる。
その堂々とした態度と音楽に、その場にいた人たち全て・・・係員でさえ・・・聴き込んでいた。
2〜3曲披露した後、どこからか「アヴェ・マリアを弾いて!」と声がかかり、会場がどっと沸いた。
演奏するつもりがないからそのまま礼をして袖に下がる。しかし会場もその気になってきたようで、アンコールの声が止まない。
「・・・どうしますか?」
ロータスが尋ねた。
「主催者側はOKを出しています」
「・・・いくしかないだろう」
「わかりました」
ロータスが頷くと慌しく係員が走り始めた。この後の時間調整や出場者への連絡をしなくてはならない。
ひとつ深呼吸・・・というよりため息に近い・・・をして、袖を後にする。
会場の拍手が一層大きくなり、歓声が上がる。
(こんなことは初めてだ)
こんなに聴衆と演奏者の距離が近くなったことなど今までになかった。
けれど、時にはこんな経験もしてみるものだと思う。
以前の自分ならそんなことを思わなかっただろう。
(君のおかげだな)
このホールのどこかにいるだろう香穂子を思い浮かべて、静かに弓を下ろした。
ところが。
「・・・後ろ!」
誰かが小さく叫んだ。
月森以外のヴァイオリンが聴こえてくるのだ。
重ねられた音で、月森はすぐにわかった。
(・・・香穂子!)
ホールの1階席、一番後方で、香穂子がヴァイオリンを弾いていたのだ。
月森のアヴェ・マリアに重ねて。
わあっと歓声が上がると同時に、香穂子にスポットライトが当てられる。ということはスタッフも承知していたのだなと苦笑し、月森は態勢を立て直した。
ざわざわしていた会場もすぐに大人しくなり、このサプライズを楽しみながら耳を傾けていた。
何よりも、月森がこのサプライズを楽しんでいたかもしれない。
最後の一音が消えると、観衆が立ち上がって盛大な拍手を送る。
月森と香穂子に向けて。
スタッフがなにやら香穂子に言っている。しかし言葉があまりうまくないのと周囲の騒がしさで聞き取れず、不安そうにしている。
ロータスが通訳に走る。二言三言言葉を交わし、香穂子が首を振った。係員が月森のいるステージを指差しているところを見ると「ステージに上がれ」と言っているらしかった。
周りにいた人たちも「行ってきなよ!」とジェスチャーで香穂子を送り出す。
不安そうに香穂子が月森を見た。
「おいで」
ちいさく頷くと、ロータスが先導して会場内をステージに向かって歩き出した。
盛大な拍手と歓声の中をくぐり抜けていく間、通路脇にいた人々が口々に何かを言ったり拍手を送る。恐縮しながら進む香穂子に、ロータスが何かを耳打ちした。少し驚いた表情を見せた後、にっこりと笑って頷いた。
香穂子がステージにいる月森の隣に立つ。
「普段着だから恥ずかしいよ・・・!」
「気にすることはない」
言いたいことは色々とあるのだが、それは後だ。
またアンコールと声がかかり始め、さすがに主催者側もこれには対応に困ったらしい。一度舞台袖に下がるように合図がされた。
「何故君が?」
下がらせた主催者に盛大なブーイングがされる中、月森が問うた。
「ロータスさんがね、出てみませんかって。でも蓮には内緒にしていて下さいって言うから・・・」
「普段隠し事が苦手なのに、今日はうまく隠しおおせたな」
「そう?もう心臓バクバクだったんだよー」
「俺も驚いた。まさか君が合わせてくれるとは思わなかった」
「ロータスさんが、いつも頑張ってる蓮へのご褒美です、だって」
先ほどの耳打ちはそれだったのか。ちらりと見ると、してやったりとでも言いたげににこにこと笑っている。
まだ興奮が冷め切らない。
会場も同じようで、未だにアンコールとブーイングの嵐だ。
「OK出ました!」
ロータスが小さくサインを出した。
このアンコールは月森一人だけではない。香穂子と二人に対してのアンコールだ。
恥ずかしいという香穂子の手を繋ぎ、ステージへと踏み出す。拍手やら野次のような歓声やらが飛び交う。
司会から香穂子の紹介がされると人々は盛大な拍手で「飛び入り」を出迎えた。
「何がいい?」
曲は何でもいいと出しなに言われていたから、香穂子のできるものを思い浮かべながら聞いてみる。
アヴェ・マリアは弾いちゃったから・・・と香穂子が少し考えるように視線を逸らす。
「愛の挨拶はどうだろうか」
「うん、いいね!」
それじゃあ、とヴァイオリンを構える。
視線を合わせて。
同時に弓を下ろした。
突然の、まさしくサプライズは見事に月森を驚かせた。
そのことに満足しているマネージャーがステージ下でにこにこと見守っているのを、なんとなく悔しい思いで横目にしながら、月森は今のこの小さな贈り物を楽しもうと思い直した。
突然にも関わらずその堂々とした二人の演奏に、その場にいた誰もが驚き、賛嘆の目で二人を見ていたことに、今回の黒幕は大満足で頷いていたのだった。
ヒトリゴト。(ブログより
マエストーソ 堂々と、荘厳に、という意味だそうです。
まんま月森なんですが、意外と香穂子もステージ度胸というか、そういうのはあると思うので。
ちなみに「アヴェ・マリアを弾いて!」と言ったのは、悪巧み(笑)を知っていたスタッフです。
そして黒幕はマネージャーのロータスさん。オリジナルキャラです。設定では穏やかな人だけど、結構策士だと思っています。そういうところが月森は逆らえないと面白いなと(笑)。
ちなみにマネージャーさんが出てくるお話「蓮の花が咲く頃に」も書いています。ちょっと書き直したいお話なんですが・・・読んでみてくださいませ。
2010.10.25UP