| 桜の咲き乱れるあの場所にたたずんだままです |
桜の花びらが吹雪のように舞い散る。
コンクールで知り合ってからは何かと交流のあった火原と柚木も、今日この星奏学院を卒業する。
そして、もう一人。
卒業を待たずにここから巣立つ人間が、ここにいる。
「今日でその制服も着納めだね」
なんの感慨もなさそうに自分の制服を見やった月森が「ああ」とだけ頷いた。
「もう着ることはないな」
もう前を向いて歩き始めた人間に、感傷は不要なものだ。
後ろを向かず。
ただ真っ直ぐに己の描いた夢に向かって。
ひたすらに、歩く。
そんな月森に、自分の言葉はマイナスだったなと少し後悔した。
「月森くん」
なんだ?と穏やかに月森が香穂子を見下ろす。
「この一年、月森くんと同じ学校にいられて、良かったよ」
ありがとう、と。
小さく呟いたその声は、楽しそうにも、寂しそうにも聞こえた。
風に煽られて舞う桜を見つめている香穂子は、ともすればそのまま消えてしまいそうな儚さに満ちているのに、月森はただ見つめているしかできなかった。
「月森くんと過ごせて、良かった」
「・・・俺は」
ぽつんと。
それは、一滴の水が水面に滴り落ちるかのような。
そんな静けさを持っていた。
「君と過ごした時間を、一言で終わらせたくない」
簡単に終わらせるようなものじゃないから。
「けれど」
滴がまたひとつ、落ちていく。
「俺は君を忘れない」
今はそれだけしか言えない。
プロとして成功できるかもわからない。
ウィーンと日本という遠すぎる距離に、香穂子を想う気持ちが負けてしまうかもしれない。
それでも、この一年、香穂子という存在がずっと隣にあったことは・・・月森が初めて想った女性のことは・・・一生忘れない。
「いつかきっと、君を・・・」
「月森くん」
意外な強さで、香穂子が言葉を遮った。
「私、応援してるから。どんなに離れてても、月森くんのこと・・・」
想っているから。
小さく吐き出された言葉は、確かに風に乗って月森の耳に届いた。
それは今はもう見えない、彼らの仕業なのかもしれなかった。
「・・・ああ」
ありがとう、と言いかけて。
結局それが香穂子の耳に入ることはなかった。
桜が舞い散る。
卒業式特有の、別れや、新しい出会いに満ちた表情の生徒たち。
彼らをどこか遠い気持ちで眺めながら、月森が呟いた。
繋いだ香穂子の手を、ぎゅっと握り締める。
「香穂子」
「なあに?」
ずっと黙って桜を見つめていた香穂子が、月森を見上げる。
「君が好きだよ」
今、ここで。
月森が放った言葉を、香穂子は絶対忘れないと思った。
「私も」
月森くんが好きだよ。
ちいさく、けれど確かに、香穂子がそう紡いだ唇に。
月森は自分のそれをそっと重ね合わせた。
ただただ散り行く桜の花びら。
土に返って、また桜の糧となるように。
お互いの想いもまた、輪廻して巡るのだろう。
そんなことを思いながら、二人はずっと・・・ずっと。
舞い散る桜を見つめていた。
2010.6.11UP