言わなければ僕はまだ笑っていられた?




 

 月森が帰ってきた、と知らされたのは、たった今。
 たまたま駅前通りを歩いていたら加地に会った。そのまま近くのカフェに連行されて、男二人で向かい合わせに座っている。
 得意気に「僕の本気は怖いからねー」なんぞほざいてる加地は、学生の頃・・・今でもそうだが・・・「日野のファン」と公言して憚らなかったはずだ。
 それがどうして人の恋路なんぞ応援してるんだ?

「一週間くらいはいるらしいよ」

「・・・なあ加地」

「なあに、土浦?」
 首を傾げて聞き返すのはやめてほしい・・・いやその前に。

「お前、日野のこと好きなんじゃなかったのか?」

「君だってそうでしょ?」

 思わぬパンチをくらって、俺は絶句してしまった。
 今までにこにこと笑っていたその顔が、一瞬にして真顔になった。

「高校の頃にも聞いたことあるよね。どうして言わないの、って」

「・・・ああ」

 そういえば一度だけ聞かれたことがあったな。

「同じ質問してもいいかな。・・・どうして言わないの?」

「・・・言えるワケねえだろ」

 自分の気持ちに気がついた時には、あいつは月森を見ていた。
 そして、月森も・・・。自覚していたかはわからないが、日野に対して特別な感情があることは明白だった。
 それなのに。
 言えるわけがない。

「お前はどうなんだよ」

「え、僕?」

 ちょっと面食らったように一瞬黙って、加地は感情の読みきれない表情で話し始めた。

「僕はね、今のままでいいんだ。だって、香穂さんの奏でる音を初めて聞いた時、僕は天使の音楽だと思ったんだ。技術もまだまだだったけど、どことな く心に残る・・・人を惹きつけて止まない、そんな音色だったんだ。着ていた制服から学校がわかるのは早かった。・・・これでも少し迷いはしたんだよ?転校 までして、彼女に受け入れられなかったらどうしようかって。でも、それでもよかったんだ。彼女の音楽を聴いていられるなら、それだけで。だから、僕は彼女 の傍にいる為に、」

「道化師だな」

 思わず言ってしまった。
 はは、と加地が笑う。そう言われることをわかっていたかのように。

「彼女の音楽を知らなかったら、僕の人生は平坦すぎていただろうと思う。だから僕は僕なりの感謝を表してるだけなんだけど」

 加地がちらっと俺を見た。

「君は?」

「は?俺?」

「土浦が香穂さんと出会わなければ、君はどうなっていたと思う?」

 俺が、あいつと出会っていなかったら。
 俺は・・・どうなっていただろう。
 ピアノを誰にも知られずに弾き続けていたんだろう。
 サッカー部も辞めることなく、レギュラーになれるかどうかで部活のやつらと他愛のない話をして。
 そうして、ピアノに正面から向き合うことから逃げ続けたままだっただろう。

「俺が。廊下であいつに会わなければ。俺は上っ面のままでいたのかもしれない」

 加地が穏やかな視線を向けた。

「ピアノから逃げ続けて、サッカーに熱中して。でも、俺はきっと、あいつと出会ったと思う」

 例え、高校の廊下でなくても。
 あいつと出会うのは決まっていたような気がする。

「土浦。君は・・・案外ロマンチストなんだね」

「はあ?!」

「人を外見で判断しちゃいけないよね。ごめん、土浦」

「いやちょっと待」

「僕はね」

 人の話を聞け。と言うはずの言葉は出てこなかった。



「フェアでありたいんだ。特に、君とは」

 意味がよくわからなくて、無言で続きを促した。
 加地が少し頷く。

「年も同じ。想ってる人も同じ。良き友人としてのポジション。良き理解者。共通点はたくさんあるでしょう?楽器が違うだけで。いや、その楽器が違うことさえも共通点になるのかな。まあとにかく、共同戦線を張ろうということさ」

 

「つまり、今のままでいろってことか」

「うーん、まあ、そうなるかな?」

 だから首を傾げるのはやめてほしい。似合うから怖いぜ、この男。

「過去に俺があいつに好きだって言ったことがあると言ったら?」

 加地がニヤリと笑った。そんなのは嘘だとわかっていると。

「君はそれを言ったら、離れてしまうだろう?香穂さんから、僕や、皆から」

「・・・・・・」

 直接的ではないが、それとなく仄めかしたことはある。
でもあいつが落ち込んでる時に付け入るようなことはしたくなかったから、気付かれなくて良かったのかもしれない。
 あの時の俺は、少しどうかしていたんだ。

「言わなきゃ良かったのにね」

「・・・ああ」

 俺の後悔を察知してか、ふふ、と笑った。

「言わなければ、何の後ろめたさもなく、いい友人として隣にいられたのにね?」

「俺は・・・」

 いつも何の屈託もなく隣にいて笑っていたわけじゃない。
 あいつが月森のことで辛そうにしているのを見てきて、何度言おうと思ったか知れない。
 それでも言わずに飲み込んできたのは。

「やっぱり『いい友達』でいいんだろうな」

「そう?」

「・・・何でそこで疑問なんだよ」

 半分以上なくなったパフェを掬い上げながら、加地が俺を見やる。

「言ってみただけ」

「・・・お前な・・・」

 せっかくの決心が揺らぎそうになっただろうが。
 加地は楽しそうに笑うと、残りのパフェを食べ始めた。

「まあ、これからも宜しくね、土浦」

 余計なお世話だとわざと大きなため息をついてみせても、こいつには通用しない。
 目の前で嬉しそうに甘いものを平らげる光景をうんざりと見つめながら、冷め切ったコーヒーを口に含んだ。

 

2010.7.18UP