行進曲 〜マーチ〜




「マーチング?」

 はい、と志水が頷いた。

「クラシックをマーチング用に編曲しているんだそうです」

 見に行きませんか、と突然の言葉に驚きつつも、最近この後輩の言動に驚かなくなってきたのはいいことなのだろうか。

「来週の日曜に県大会だそうです。チケットをもらったので、香穂先輩と一緒に行けたらいいなって思って…」

 隣にいる月森のことはまるで頭にないらしく、チケットを一枚、香穂子に差し出した。

「…行ってくるといい。君にはいい勉強になるだろう」

「でも、月森くん」

「俺のことはいいから。志水くん、香穂子を頼む」

「はい、もちろんです」

 本人の意思の上を通り越して進んでしまった話に香穂子がぽかんと口を開けた。




 待ち合わせは9時。わざわざ自宅まで迎えに来た志水に恐縮しながらも、香穂子たちが会場へと向かう。
 その間、マーチングについての講釈を志水から聞いて、ある程度の知識は得た。…と思う。

「えーっと、つまり。楽器を持って演奏しながら歩いたりするんだよね?」

「はい、そうです」

「演奏だけじゃなくて、その歩き方とかも審査対象になると」

「はい」

「鼓笛隊とは違うの?」

「違います」

 志水がらしくなく即座に否定した。

「鼓笛隊は先輩も小学校でやったことあると思いますが、歩き方も楽器の編成も違います。マーチングの場合は、日本では主にドラム・アンド・ビューグル・コーが一般的で、楽器もトランペット、コルネット、メロフォン、ユーフォニウム、バリトン、チューバなどのブラスから…」

「う、うん、その辺はさっき聞いてわかったけど。じゃあ鼓笛隊は?」

「鼓笛隊はドラム・アンド・ファイフ・コーとも言われていて、ファイフ、つまり横笛を中心としたブラス編成です。スネアはマーチングスネアとはまた違う種類を使っています。鍵盤ハーモニカやリコーダー、アコーディオン、ベルリラなどを主に使ったブラス編成になっているのが鼓笛隊です」

「小学校の運動会でやったことあるけど、そのまんまの編成だったよ。トランペットとトロンボーンとかチューバももあったけど。さっき志水くん、日本では、って言ったけど、他の国ではまた主流が違うの?」

「マーチングは今や全世界で楽しまれているものです。アメリカなどでは特に人気が高くて、それだけレベルも高いです」

 アメリカではフットボールのハーフタイムに演奏されていることが多い。フィールドが広い分だけ大人数での演奏が可能で、しかし屋外での演奏となることから音響がきかないことと、相当「走る」ことになるため、技術力だけでなく体力も必要とされている。

「日本人も期間限定でシーズンになると参加している人が多いようです」

「へえ…」

 しかし体力的な問題や就職等の社会的な問題で、21歳までしか参加できないことになっている。

「じゃあ学生の間だけしかできないんだ」

「そうですね」

 日本ではあまり馴染みのないマーチングだが、自衛隊音楽隊や警察音楽隊と言えばわかる人もいるのではないだろうか。

「県大会、ってことは、全国大会もあったりするの?」

「日本では主に『日本マーチングバンド・バトントワーリング協会』が開催する『マーチングバンド・バトントワーリング大会』、省略して『M連』と『吹連』、『全日本吹奏楽連盟』の二つがあって、どちらも編成の違いは多少ありますが、全国大会まで開催しています。世界大会となるとまた組織が違ってきて…」

「わかった志水くん、ありがとう!」

 よくこんなことまで知っているものだとつくづく感心する。志水や月森の属する音楽科の生徒たちには馴染みのないジャンルだろうに。
 素直にそう口にすると、意外な答えが返ってきた。

「今日、香穂先輩と来ることになって調べたのもありますが、実は僕のクラスでマーチングをしている人がいて…」

「ええっ?!」

「これから見に行く大会に出るんです」

「ちょ、っと、それを早く言ってよ〜!」

 はあ、と眉根を下げて志水が「すみません」と小さく頭を下げる。友達が出る、ということよりも、マーチング自体に重点を置いているのは志水らしいと言えば「らしい」のかもしれない。

「その友達は何の楽器を担当してるの?」

「ピットです」

「ピット?」

 これまた馴染みのない言葉だ。小さく頷いた志水が滔々と説明を始める。

「ピットはフロントピットとも言われていて、持てない楽器をまとめているパートです。グロッケンとシロフォンは鼓笛隊用などがありますが、シロフォンは音域が狭くなってしまいます。他にはビブラフォン、マリンバ、コンサートバスドラム、ティンパニ、シンバル各種、それから小物類ですね」

「小物類って?」

「ウィンドチャイムや、トライアングル、コンサートタムタム、タンバリンなどです」

「なるほどねえ」

 ピットは全員が同じ楽譜ではないことが特徴だ。例えば同じシロフォンでも、人が入れ替わる。ずっと一人で担当することがないことが特徴だが、大人数のマーチングバンドではそれなりに人数もいるために移動しない場合もある。

「友達が出るバンドは人数が多いのであまり移動はしないそうです」

 マリンバで出るという志水の友達は、学校でもマリンバを専攻しているという。

「音域が5オクターブ半あって、シロフォンよりも音の深みが出ますし、音域が広いだけあって表現も幅広いんです。二人でフォーマレットにすれば、同時に8つの音が出せます」

 ピアノも10本の指を同時に使えば10の音が出る。が、指の長さという制限が均等な幅でメロディを出すことを不可能にする。

「片手で二本ずつ持っていても、単音だけで叩くこともできます。マレットに長さがある分、多少離れていてもハモることができるんです」

「5オクターブ半、って・・・一人で一番低音から一番高音まで移動するの難しいね」

「そうですね。慣れてくればそうでもないって言ってましたけど…あ、ここです」

 そんな話をしているうちに、会場が見えてきた。

「行きましょう、先輩」

 志水の声が、気のせいか弾んでいるように聞こえた。