聖譚曲(オラトリオ)

 




 最早望むものはただ一つ。

 安らかなる眠りを。




 誰でも知っている物語。
 エンドマークがついた時点で、誰もがやるせなさに溜め息をつく。

「私、この話苦手だった」

 気持ちはわかる。

「平家物語もそうだな。栄華を極めても、結局いつかは潰えてしまう」

「祇園精舎の鐘の声、か。授業で暗記させられたよ」

 当時はなんでこんなものを覚えなくてはならないのかと思ったものだが、今ならなんとなく、わかる気がする。

「ジャンヌ・ダルクにしても、平家物語にしても、いつかは滅びちゃうっていう話、皆好きだよね」

「…そう、かも…しれないな」

 さらさらと吹く夜風に当たりながら、先ほどまで観ていた舞台に思いをはせる。
 月森の父がくれたチケットで見てきたものは「ジャンヌ・ダルク」。
 オラトリオ(聖譚曲)として一時間を超える舞台は、月森にも香穂子にも、言葉に変えがたい後味を残した。
 たった十数年しか生きていない自分たちにはわからない。
 こんな悲しい結末の何に人が惹かれるのか。
 華やかな人生のピーク。それとは対照的な最後の時に、差があればあるほど人は昏い悦びを持って受け入れる。

「戒め、のようなものも、あるんだろう」

「戒め?」

 ああ、と月森が頷く。

「教え、と言うべきだろうか。先人の、物事には何事にも頂点があれば底辺もある、ということを言いたいんじゃないだろうか」

 うーん、と香穂子が黙り込んだ。
 確かに、そうなのかもしれない。
 けれど。

「あんまり、わかんないや…」

 頂点に立ったと思ったこともなければ、底辺を味わったと思ったこともない。
 魔法のヴァイオリンを失った時でさえ思わなかった。
 あの時はただ必死で。
 何も考えてさえいなかった。

「君はさしずめ星奏学院のジャンヌ・ダルクだな」

 からかいを含んだ声音で月森が笑う。

「どういうこと?」

「君がコンクールに出て、色々な物や人が変わった。学校全体に色々な影響をもたらした。それは概ねにおいていい方向へ変化したことは、君にしかできないものだったんだろう」

「ちょ、…ちょっと待って」

 そんな大したことはしていない。と香穂子は思っている。
 確かに普通科と音楽科の壁の厚さがなくなったのは実感している。けれど、月森の言うような「いい方向」ばかりではない。

「君の言いたいことはわかる。…つもりだ。けれど、音楽科と普通科の厚く、高い壁が取り払われたことは、君がきっかけだったのは間違いない」

「そうかなあ…」

 首を傾げながら香穂子が考え込んだ。

「でも、未だに色々言われたりするよ。月森くんと釣り合わないとか、そんな技術でコンクールに出るだけじゃなくてアンサンブルにも出るつもりなのかとか、音楽科に転科なんてするなとか、ヴァイオリンやめろとか」

 陰で色々言われていることは月森も知っている。できるだけそういったことから守りたいとは思っているけれど、科が違う以上いつも守りきれるわけじゃない。

「君に釣り合わないから別れろ、とは言われたことがあるな」

「へっ?月森くんが?!…まっさかあ」

 普通科の生徒だった。
 わざわざ音楽科棟までやってきて、月森に告げたのだった。

「君は有名だから」

 僅かに困ったように眉根を下げて笑う月森を、香穂子はただ驚いて見つめるばかり。

「月森くんに言われたくないな、それ」

 コンクール以降、月森の人気ぶりは香穂子もかなり焦るものがある。
 羨望の眼差しで見つめる者、嫉妬で嫌がらせをする者、さまざまだ。

「何にせよ」

 寄りかかっていた柵から身を起こす。そして未だに寄りかかっている香穂子を閉じ込めるように、腕で囲いをする。じ、っと見つめる瞳を同じように見つめ返した。

「俺にとっても君にとっても、今がピークじゃないのだろう。まだこれから色々な出来事がある。たった17年しか生きていない俺たちに待つものが何であるかはわからない。けれど、もっとたくさん経験していきたいと思う。…君と、二人で」

 さわりと風が二人の髪を揺らす。
 どこか遠くで聞こえる汽笛が、二人の静寂をぼやかしていく。
 ただ、じっと。
 お互いの瞳を見つめ合うだけで、幸福だと思える。
 ふと香穂子の瞳が緩んだ。

「そうだね。二人で、いっぱい、同じものを見ようね」

「……ああ」

 幸せそうに唇を重ねる二人は、まだ知らない。



 数か月先の、未来のことなんて。





















ヒトリゴト。
 ものすっごく久々ですね、お題消化するの。
 香穂子とジャンヌダルクを引っ掛けようとしたのですが、何だか思わぬ方向に…切ないお話、とは思っていたので、まあいいかな。
 もうちょっと、オラトリオのジャンヌダルクについて書ければ良かったなあ。

2012.7.13UP