序曲 〜オーヴァーチュア〜




 何事にも終わりがあるならば、始まりというものが存在する。
 始まりがなければ、終わりは存在しない。



「僕の始まりは…」

 森の広場で、数多ある雑音とも言うべき音の洪水の中から即座に聴き分ける自信がある音を奏でる少女。
 技術は拙いし(現に今もつっかえた)、音も時々外している。
 なのに。

「日野さん、なんだよなあ」

「なあにが『日野さんなんだよなあ』なんだ、加地?」

 振り返ると、いつもやる気のない音楽教師が煙草をくわえて立っていた。猫缶を持っていることからして、どうしてここにいるのかを知る。

「金澤先生」

「今日も日野の追っかけか?精の出るこったなー。若いってスバラシイ」

「先生のオーヴァーチュアは何でしたか?」

「はあ?序曲が何だって?」

 さすが音楽教師、とからかえば「おい」と口をへの字に曲げる。それでも立ち去らないということは、何か教えてくれるのだろう。
 どういう意味なのかをしばし考え、面倒くさそうに頭をがしがし掻いた。

「始まりは、終わりへの序曲、ってな」

 じゃーな、と手をひらひら降って行ってしまった。大人の言うことって難しすぎると後ろから文句を言ってみても意に介する事無く…というより綺麗にスルーされた感があるが…歩いて行ってしまう。

「始まりは、終わりへの序曲…か」

 序曲。
 オーヴァーチュアとも言われ、後に前奏曲(プレリュード)へと発展する、本当に「始まり」だ。
 色々な変遷を経ていくつかのタイプに分かれたが、序曲と言うと誰もが「始まり」を連想するだろう。

(始まり方も色々、ってことかな)

 加地の耳が捉えている唯一の音は。

「あ。外した。…ここも」

 難しい曲に挑戦しているのか、つっかえるし外すしで、正直あまり聴けたものではない。
 なのに。

「この音じゃなきゃダメなんだよなあ…」

 考えることはもうとっくに放棄している。
 むしろ考えること自体がムダなのだ。
 理論じゃなく、感性が「日野香穂子の音楽」を欲しているのだから。

「お前さん、まだいたのか。こんなストーカーみたいなことしてないで、堂々とまん前で聴いたらどうだ?」

「僕が彼女の視界に入ってたらダメなんですよ。…っていうか、僕が日野さんの視界の中にいたくないっていうか」

「…………何かやらかしたのか」

「ち、違いますよ!」

 じゃあ何だと訝しげな視線を投げて寄越すが、深くは詮索しない。ふーんとつまらなさそうに鼻を鳴らして「ま、悩め悩め」と加地の肩を叩いて去っていく。

 誰の音でもいいわけじゃない。
 どうして彼女でなければダメなのかを自分でも考えたことはある。
 結局たどり着いた答えは「自分の全てが彼女を欲している」ということだった。
 あの音楽が。
 あの笑顔が。
 あの存在が。
 欲しいのだと。

(でもそれを言っちゃいけないんだ。今は)

 そう、「今は」。
 自分はもう既に答えにたどり着いてしまった。
 けれど、香穂子も同じではないことは充分にわかっている。
 少しずつ。少しずつ。
 香穂子が自分を見てくれるように。
 自分と同じ想いを抱いてくれるとまではいかなくても。
 何かあれば真っ先に頼ってくれるような存在になれるように。

(だから僕は)

(彼女の音を追い続ける)

 周りが何と言おうと、あの少女こそが自分を変えてくれるのだから。

「オーヴァーチュア、か」

それは「始まり」。
終わるための始まりじゃなくて、始まる為の。

「序曲だ」

 加地が駆け出した。
 香穂子の視界に入る為に。
 始まりを、始める為に。



「日野さーん!ねえ、今度の日曜に……」











ヒトリゴト。
 私の中では「月日←地」のつもりで書きました。あくまで月日ベース…これで救済されてる…でしょうか…(不安
 救済話なので、割り込む余地はまだまだあるよ的にしてみたつもりです。で、できてるかなあ…(超不安

2011.10.16UP