前奏曲(プレリュード)

 




 いくつめの夜だろう。
 ふと君のことを思い出して眠れなくなる。
 笑顔や、頬を膨らませた顔、ヴァイオリンを楽しそうに弾く姿。
 そして。

(頑張ってね、月森くん)

 そう言って泣き出しそうな表情で送り出してくれた、君の事を。
 もう、時折思い出す君が霞み始めていた。

 思い出すと、いつも君の写真を眺める。
 置いてきたのは誰あろう俺なのに、君に会いたくなって、声を聞きたくなる。
 でもまだだ。
 まだ、その時じゃない。
 俺はここで、夢を叶える。自信を持ってまた君と会う為に。
 だから、今は記憶の中の君に会う。
 目を閉じて。
 思い出す為の鍵は一つ。
 ヴァイオリンで繋がっていると信じているからこそ、俺はその鍵をそうっと扉に差し込んで、ゆっくりと開く。
 静かに開け放たれた君との記憶は、俺をあっという間に攫って行く。
 そして、笑顔はずっとあの頃のまま。
 少し甲高い声で「月森くん」と呼ぶ君を、俺はいつも優しい気持ちで受け止めていられただろうか。
 手を繋げば「冷たいね」と笑う君に、どんな返事をしていただろうか。

 記憶はいつも曖昧で。
 思い出したいのに、君の顔が霞んでよく見えない。
 長い髪。
 少し癖のあるそれを指先で梳くと、くすぐったそうに身を竦めていたな。
 指先がどんなだったかなんてすぐに思い出せるのに。

 君の顔だけが、見えない。

(必ず迎えに行く)

 ゆっくりと目を開ける。そこは見慣れたウィーンの、俺の、部屋で。
 開け放した窓から冷たい風がカーテンを揺らす。
 ヴァイオリンが月明かりに照らされて浮き上がって見えた。

「もうすぐ、……君を」

 君は忘れてしまっているだろうか。
 もう別な誰かの手を取って、俺とは違う道を歩んでいるのだろうか。
 でも。
 信じていたい。
 俺たちは、ヴァイオリンで繋がっているのだと。

 この遠い空の向こうで、君と俺の音楽が互いに共鳴していることを。
 お互いを、求め合えていることを。

 そう信じているから。




2012.8.10