| 鎮魂曲 〜レクイエム〜 |
うーん、と香穂子が大きく両手を空へ突き上げるようにして伸びをした。
「なんだか眠くなってきちゃった」
外は絶好のお昼寝日和。更に練習している曲は「レクイエム」。仕上げの段階に入っているから、細かな練習をしているのだが。
「レクイエムだからしょうがないんだろうけど、こういう曲って眠くならない?」
「ならないな」
苦笑いと共に月森が返せば、むうと頬を膨らませて「だってー」と拗ねてみる。
「まあ、君の言いたい事はわからないでもないが」
「でしょ?魂を鎮める為の曲だからってさ、皆が皆悲しんで送り出してほしいわけじゃないと思うんだよね」
「鎮魂曲とは書かれるが、そういった意味合いはない」
「え、そうなの?」
「葬儀の際に演奏されることが多いからそう訳したんだろう。色々なレクイエムの歌詞を見ると確かに鎮魂曲という感じもする」
「例えば?」
「そうだな…」
少し考えるようにして、何かを思い出したようにカバンを開けた。
教科書を取り出してぱらぱらとめくる。
「…あった」
ほら、と手渡された教科書。そこそこ使い込まれており、所々にマーカーや赤ペンなどで印がつけられている。
ここだ、と指し示された所を見ると「レクイエム」という見出しがついていた。
「えっと、『レクイエムとはミサで用いる聖歌のことで、完全ミサ曲の一つである。またそれにヒントを得て作られたもの。死者のためのミサ曲などとも訳され、日本では鎮魂曲と訳されることが多いが、レクイエム自体において鎮魂の意味はない。』だって」
ありがとう、と教科書を返しかけて「ちょっと待って」とまた視線を落とす。
「ミサ曲って歌がないといけないわけじゃないんだ?」
「そうだ。室内楽形式で声楽を伴わずに演奏される楽曲もある」
「へえ。トランペットもあるんだね。トランペットって、火原先輩の音を聴いてると元気のいいイメージしかないけど、こういうのにも使われるんだね」
「火原先輩のイメージでは確かにそういったイメージもあるだろうが、とても優しく柔らかな音を出せる」
「今度火原先輩にお願いしてみようかなあ」
「受験勉強で忙しいだろう」
「あー…そうだよね」
教科書に書かれている文字を何とはなしに追いながら話をしていた香穂子がふと視線を止める。
「どうした、香穂子?」
じっと何かを真剣に目で追い出した香穂子に声をかけてみると「ん…」と上の空の返事が返ってきたので、しばらくそのまま待ってやることにする。
やがて顔を上げた香穂子の瞳には、疑問の色が浮かんでいた。
「…なんかさ」
「どうかしたのか?」
「この歌詞を読んでたんだけど。ちょっと腑に落ちないっていうか…」
視線で続きを促す。小さく頷いた香穂子が考えのまとまらない、たどたどしい言葉で考えていることを紡ぐ。
「死後の世界がとっても怖いもので、それを助けて下さいっていう歌詞なんだよね?死にたくないとか、地獄に落とさないでとか」
「そういう教えなのだろうと俺は思うが」
「私もそう思うんだけど。死んだ後の世界って、どういうことなんだろう」
難しい質問だ。
十数年しか生きていない自分たちにそんなことがわかるわけもなく、沈黙が二人の間を包む。
香穂子がうんうん唸っている間に月森も月森で考えてみることにする。
自分たちが死んだ後、どうなるのだろう。
魂が巡ってまた生まれ変わるだとか。
生まれ変わる為の身体を完全に保存しておく方法なども古来研究されていたりもした。
死んだらそこで終わり、と考える者もいる。月森もそう考えている。
けれど本当にそうなのだろうか。
今生きているこの命は、終わりを迎えた後に、生まれ変わるのだろうか。
「難しいな」
「難しいね」
そよそよと吹く風が二人を追い越していく。
月森はもう何も考えることなく、香穂子が何かを言い出すのを待っている。香穂子はというと、まだ「自分が死んだらどうなるのか」を考えているらしい。
「死んだ後の世界っていうのがあって、そこはすごく怖い所なんだよね。で、そこに行きたくないから助けてほしいってお願いするのがこの歌詞」
相槌を求めていないようだから、ただ無言で続きを待つ。
「今生きてる世界に、いいことないって言ってるようにしか受け取れないんだよね、私。私たちが今生きてる世界だって、楽しいこともたくさんあるし、嫌なことだらけじゃないのに。死んだ後の世界が怖いなんて煽ってるようにしか見えない」
「個人の考え方ではないだろうか。生まれ変わりなどないという考え方もあれば、そう考えない人もいる。未知の世界だからこそ、不安や恐怖や、そういったものを考えてしまうんじゃないだろうか。その不安や恐怖を和らげるために、様々な宗教が存在し、教えを説いているのだろう」
「この宗教を信じていれば死後の世界はこんな世界だけど、違う宗教ではあんな世界、みたいに違うの?一つじゃないの?」
「どうだろうな。この地球上には数えきれないほどの宗教が存在して、数えきれないほどの教えがある。けれど、俺が思うのは」
月森が空を見上げる。雲が様々に形を変えて流れていくのをしばらく眺める。
「最終的にいきつくところは同じなんじゃないかと思うんだ。俺たちが死んだ後の世界。魂は存在するのか。どこへ行って、生まれ変わるのか。生まれ変わらずにそのまま消えてなくなってしまうのか。それを説くのは皆一緒じゃないかと思う」
ただそれがそれぞれ違うだけで。
「…難しいねえ」
「難しいな」
香穂子の吐いた盛大な溜め息が風に乗って消えていく。
きっといつか自分たちもこの命を終える時が来る。それは万物に等しく与えられたもの。人間であろうと、草であろうと。
「もし、生まれ変われるんなら」
香穂子がぽつりと呟く。
「私、また月森くんに出会いたい。そうしてまた月森くんを好きになりたいな。…あ、」
何かに気付いたように、香穂子がぽんと手を叩く。
「レクイエムっていうのは、また出会う為に送り出す曲なんだ」
「つまり、生まれ変わるということか?」
「まあ、そうだね。また巡り巡って出会えるように。そうやって送り出すんだよ、きっと」
「そういう曲だと言っているだろう」
「あれ、そうだっけ?」
いいこと言ったと思ったのになあ、などと頭を掻きながら、月森が指し示した所を読み始める。ああほんとだ、と間延びした声で言うと教科書をぱたんと閉じてしまった。
「なんか難しいこと考えすぎて頭痛くなってきた…」
「帰りにケーキでも食べに行くか?」
「あ、いいね!頭を使ったら糖分補給しなくちゃね!」
「と言いながら実は君が食べたいだけだろう?」
「ち、違います!今日は新しくできたカフェのおすすめケーキにしようかなとか考えてないからね!」
考えてるじゃないかと吹き出せば、香穂子があわあわと両手を振る。が、もう遅い。
もう一度通しで、と月森が指導者の顔に戻ると、香穂子も表情を引き締めた。
レクイエム。
それは命を終えた魂とまた巡り会う為に送り出すもの。
その曲に小さな「約束」を秘めて。
そうっと小さな小舟を押し出すのだ。
澄み渡る空へ向かって、香穂子の奏でるレクイエムが爽やかに響き渡った。
2011.1018UP