輪舞曲 (ロンド)




 今度内輪で開くパーティに来てくれないか、と月森を通して母親の浜井美沙から招待を受けた。

「え、いいの?!でも、私なんかが…出ていいのかな」

「良くなければ招待などしない。それに、母から『是非』と言われている」

「美沙さんにお会いできるのは嬉しいけど…でも」

「それと、もうひとつ」

 少し困ったように眉根を下げた。

「来てくれるのならば、少し覚悟をしておいたほうがいい。…俺の、恋人だという目でみられるだろうから」




 結局、招待を受けることにした。
 断ったほうがよほど気が楽だし、実際一度は断った。しかし、どこからどうやって聞き出したのか知らないが、美沙本人から携帯に連絡を寄越したのだ。

「断った所をすまないが、どうしても出て欲しい」

 と再三言われて、香穂子も参加させてもらうことにしたのだった。
 美沙から提示された条件は二つ。
 ヴァイオリンを持ってきて欲しいこと。
 パーティの間はずっと月森がエスコートすること。
 後者の条件を頼りにして、香穂子は「わかりました」と頷いたのだった。

「やっぱり緊張するよう…」

 胃がしくしくする。コンクールの時だって、こんなに緊張はしなかった。いや、していたのだろうが、緊張を感じる余裕がなかった。
 月森の手がそうっと肩にまわる。
 大丈夫。
 そう言ってくれている気がして、無言で微笑む月森を見上げた。

「いつもの私でいこう」

「それでこそ君だな」

 ぽんぽん、と髪を撫でてくれる手が優しかった。




 美沙から「これを着て欲しいの」と事前に受け取っていたドレスは、美沙が以前着ていたものらしく、月森も見覚えがあったようだった。
 髪もセットしてもらい、終わる頃を見計らって着替えた月森がやってきた。会場となる同じ建物にあるサロンへと案内されると、美沙が誰かと話しているところだった。

「お話し中のところを失礼します。…お母さん」

「あら、蓮。早かったのね。香穂子さんも、今日は無理を言ってごめんなさいね。そのドレス似合ってるわ!良かった、サイズが合わないかもしれないって少し心配していたの。ピッタリね」

「あの、今日はお招き頂いてありがとうございます」

「緊張しないで、ゆっくりしていってね。蓮はしっかりエスコートするのよ」

「わかっています」

 母のエスコートを何度か仰せつかったことがあるから、大体の要領はわかっている。しかし母親としての目で見ると、心配で仕方がない。

「香穂子さん。うちの息子、気が利くほうじゃないから少し役不足かもしれないけれど、許可なく傍を離れるようなことがあったら遠慮なく私に言ってちょうだいね。しっかり言い聞かせますからね」

「お母さん!」

 先ほどまで美沙と話をしていた男性も、一緒になって笑っていた。この年になって母親から叱られるなど恥ずかしいことこの上ない。

「蓮は、今日は何もしなくていいわ。ヴァイオリンを弾いてもらう時と私との連弾の時だけ息子を借りるわね、香穂子さん」

「連弾?」

 興味津々といった表情で月森を見上げると、そろそろと視線を外された。
 趣味がピアノ、ということは聞いたことがあるし、何度か練習の折に伴奏もしてくれているからピアノの技術もすごいことはわかっている。
 しかしピアニストである母親との連弾、という言葉に興味をそそられるらしく、

「香穂子。…目が物凄く輝いている気がするんだが…」

「えーだって!美沙さんと連弾でしょ?!聴きたい!」

「…香穂子…」

 今までのしおらしさはどこへやら、月森のヴァイオリンと美沙との連弾が早く聴きたいとせがみ、美沙は微笑ましい気持ちでその光景を眺めていた。




 内輪のパーティとは言っても、やはりというかそれなりの人数だ。しかし皆大人ばかりで、当然のことながら未成年は月森と香穂子のみ。
 月森も父や母と一緒に挨拶回りに駆り出されることが多いのだが、今回は香穂子のエスコートを優先するように言われているから、何もすることがない。ヴァイオリンも連弾も、まだまだ時間は後の方だ。
 時折挨拶にやってくる人と二言三言話すだけで、月森はちゃんと香穂子の傍にいる。けれどそれが返って周囲の興味を引いていることに二人とも気付かない。

「あの月森さんの息子さんに…」

「笑った顔がかわいいわねえ」

「何だか初々しくて、見てるこっちが恥ずかしくなるね」

 そんな言葉を美沙も聞きながら、テラスにいる二人を見た。
 何かの話に夢中になっているようで、香穂子が笑いながら楽しそうに話している。月森はそれを微笑みながら黙って聞いていた。
 最初に自分の元にやってきた時は微妙な距離を取っていた二人も、今はぴったりくっつきそうなほど近くで話し込んでいる。それに、月森家の息子という存在は良くも悪くも有名だ。ヴァイオリニスト。良く言えば真面目、悪く言えば堅物。恋人なんてできそうにもなかった月森蓮という青年が、傍らで笑っている少女の恋人なのだという光景は、陰で色々な憶測を呼んでいるらしい。ざっと周囲を見回すと、それとなくちらちらと二人を見ているようだった。

(お披露目というわけでもないのだけれど。きっとあの子は、手放さないだろうから)

早めに知らせておいて損はない。既に何人か「うちの娘を紹介したい」と話はきているし、こういった場ではそれなりの頻度で言われていた。当の本人は「興味がない」で一蹴するのをわかっているから、親に話が来るのだ。本人同士に任せては、と逃げてきたが、これでそれもなくなるだろう。

「一石二鳥ってところかしら」

 美沙が誰にともなく呟くと、嬉しそうに一人頷いた。




 演奏の準備の為に月森が香穂子の元を離れていった。
 香穂子を一人にすると質問攻めにあうことはわかりきっていたので、月森の父親が代わりに相手をしてくれている。
 月森とは違って、さりげなく気遣ってくれながら飲み物や軽食を取ってくれたり話をしてくれて、親子なのに、と思ったのはすぐにわかったようだった。

「気の利かない息子ですまないね。学校でもいつもああいった感じなのかい?」

「そんなことないです。学校では…………あー…」

 ぷっ、と吹き出した。香穂子の顔が一気に真っ赤になる。
 いい所を探そうとしてすぐには見つけられずに黙ってしまった香穂子に「いや、無理しなくていいんだよ」と笑いながら言った。

「私も家内も、蓮に彼女ができるなんて思ってもいなかったからね。随分変わった女の子なんだなあって思っていたんだよ」

 月森の表情や態度が日々変化していくのを「彼女でもできたんじゃないかしら?」と気付いたのは月森の祖母。決定的な証拠がないから皆で黙っていたけれど、夏を迎える少し前から月森の自宅に出入りするようになった少女がそうなのかもしれない、とは気付いていた。女性陣は早々に気付いていたようだったし、美沙にいたっては既に何度か会ったというのだから、こういう時の女性の素早さには恐れ入る。
 ある日の夕食の席で、いつものように黙々と食事をする息子に切り出したのは美沙。喉に詰まらせて咳き込み、けれど目が「それをどこで知ったんだ」と雄弁に問うていた。そうして嫌がる月森に無理矢理聞き出して、香穂子のことを知ったのだ。
 最初は変わった女の子なのだろうと思っていた。月森と同じような、寡黙で大人しいタイプなのだろうと。
 しかし話を聞くにつれて、会ってみたくなって。
 夏休みに入る頃に初めて会った少女は。

「変わった、って…友達にも何度か言われたことあります。月森くんみたいな人とどうして付き合ってるのかって…あ」

「あはは、いいんだよ。親の目から見ても、あの子は少し心配なところがあったからね」

 月森の名を背負って生まれた子。自分もヴァイオリニストとして活動していた時期はあったし、美沙は今も現役のピアニスト。祖父母も音楽に携わっている。そして今は会社を興した自分の子どもとして、音楽以外の煩わしい付き合いに引っ張り回され、挙句色眼鏡で見られ。
 勉強もヴァイオリンも疎かにしてはならないといつからか自分から重い枷をはめてしまった息子。がんじがらめになって、それが小さい頃にはあった音を楽しむという意味を忘れて、足掻いていたことも知っている。
 不憫なのかもしれない。一人っ子という状況が更に追い込んだことも、両親には負い目に感じていた。

「本当は兄弟がいたほうが良かったのかもしれない。でも、もう無理だからねえ」

 美沙の年齢からしてもう子どもを産むことはできない。だから。

「できれば兄弟は多いほうがいいよね」

 香穂子にとってはよくわからない話の飛び方に、そうですねと答えつつもクエスチョンマークが頭の上でいくつも飛び回っていた。




「って言われたんだけど」

 父親とバトンタッチした月森が香穂子からの話を聞き終えると、飲んでいたアイスティーを喉に詰まらせて勢いよく咳き込んだ。

「ちょっと、月森くん?!大丈夫?」

 腰を折って咳き込む月森の背中をさすってやりながら、後ろにいたスタッフに水を頼む。

「平気だ、…ありがとう」

 水を受け取って一気に飲み干す。後で父親にはきちんと言っておかねばなるまい。幸い、香穂子は意味がわかっていないようだが。
 何やら楽しそうに話をしているのは見えていた。父親であれば大丈夫だろうと信じていたのだが、一つ失念していたのだ。
 父も、母と同様にいたずら好きなことを。
 普段は穏やかで、学校の話やヴァイオリンの話などを聞いてくれるが、時々、本当に時々、いたずら心を起こすことがある。月森自身が不愉快になるとかそういった類のものではなく、茶目っ気たっぷりに本気なのか冗談なのかわからないようなことを言ってみたりするのだ。

(…お父さん…!)

「月森くんのお父さんが言ってたのって、どういう意味なんだろうね?月森くんにきょうだいがいたらいいよねって、話?」

「母はもう子どもを産めない」

 年齢的にも、身体的理由においても。
 だから自分には「きょうだい」がいない。

「仮に美沙さんに今赤ちゃんが生まれたとして、月森くんに赤ちゃんの兄弟がいるっていうのが想像できないよ」

 確かに自分も想像できない。
 姉や、兄がいないのは何故なのかと無邪気に問うた記憶もあるが、両親も祖父母も困ったように笑っていただけだった。

「ご歓談中のところを失礼するよ。二人とも、そろそろ準備してくれるかい?」

 月森の父親が楽しそうに微笑みながらやってくると、調弦を促した。
 香穂子の表情にさっと緊張が走る。二人ともそれを認めてちらりと顔を合わせた。

「大丈夫だから、香穂子」

「心配することは何もないよ。大丈夫」

 こういう時の雰囲気はやっぱり親子だなあ、などと呑気に考えていたことを月森に見透かされ、呆れた表情で香穂子の背を押したのだった。 




 二人だけのヴァイオリンデュオを、というのが美沙からのリクエストだった。
 曲は任せる、ということだったから迷うことなく「シューベルトのアヴェ・マリア」を選んだ。
 ステージに姿を現した二人に、どよめきのようなざわめきが小さな波のようにサロンの中を走って行く。ざわざわとした雑音に気が散る。月森を見ると、少し心配そうに香穂子を見つめていた。

(きっと大丈夫)

 ここぞという時の度胸はあるつもりだし、今までもそれで切り抜けてきた。それだけを頼りにしてはだめだと月森に言われて気を付けるようにはしているが、やっぱりこういう時は火事場のナントカだよねと一人頷いてみる。
 月森が小さく頷いた。会場がしん、と静まり返る。
 うん、と香穂子も頷き返して。
 弓を引いた。

 綺麗な滑り出しに、誰もがほう、と溜め息をついた。
 少し技術力の安定さは欠けるものの、情緒があって感情豊かだ。
 きっとこの曲は二人にとって特別なのだろうと匂わせる。

「瑞々しさがあっていいわねえ」

 美沙の近くにいた女性が呟いた。それを聞いていた月森の父親も小さく頷く。
 正直に言えば、自分の息子がここまで感情を露わにすることが驚きだった。
 以前聴いた時は、悪く言えば平坦な、上滑りしていくような、そんな印象があった。けれど、今は。

「自分の息子ながら、すごいと思わない?」

「ああ。…正直に言うと、びっくりした」

 ふふ、と美沙が笑う。もしかしてこれを狙っていたのではないかと気付いて尋ねてみるが、肩を竦めて答えはもらえなかった。

 最後の一音がふうわりと消えていく。二人がヴァイオリンを下ろした後も、しばらく静寂のままだった。
 そんなにひどい演奏だったのかと不安になって月森を見上げると、同じようなことを考えていたのだろう、会場を見渡している。

「つきも…」

 小さく呼びかけた時。

「素晴らしい!」

 誰かが叫び、それに皆我に返ったように拍手を送る。
 満足そうに小さく微笑むと、月森の両親と目が合った。身を寄せ合うようにして微笑む二人もまた拍手を送ってくれていた。

(良かった…)

 一礼して、月森が香穂子へと手を差し伸べる。きょとんと首を傾げてその手を見下ろすと。

「君の、手を」

 言われるがまま右手を差し出すと、ぎゅ、と握った。
 そのままステージを下りていく。きゃあ、とか黄色い悲鳴のようなものが聞えたのは…気のせいだろう。




「とっても良かったわ」

 楽器を控室に置いてサロンに戻ると、美沙が待ち構えていた。
 来賓の人たちもまたそれぞれに賛辞を送ってくれる。さすが月森の息子が見初めただけのことはある。そういった目もないわけではないが。今は純粋にその賛辞を受け取っておくことにする。
 片や香穂子はたくさんの人に囲まれて…もみくちゃにされていると言ったほうが正しいかもしれない…、それでも嬉しそうに「ありがとうございます」と返している。

「ねえ、蓮」

 その光景を見ながら、美沙が言った。

「大事にするのよ。あなたを変えた人なんだから。守ってあげてね」

「わかっています」

 真っ直ぐに見つめ返す息子の瞳には、確かな意思がはっきりと表れている。こんな風に感情を表に出してくれることが嬉しくて、笑みが深くなる。
 これならば、大丈夫だろう。
 ウィーンに留学してはどうかという話を出しても、きっと。

「さあ、二人にご褒美があるのよ」

 今はその話をすべきではない。だから美沙は努めて明るい声を出した。

「うちの息子と、踊って頂けるかしら、香穂子さん?」




 サロンは色とりどりのドレスの花が咲いている。踊るたびにふわりと揺れるドレス。
 香穂子が踊れないからと遠慮して、テラスで見ていたのだが「是非どうぞ」と何人にも言われて少しずつその気になってきたらしい。ステップを見つめる眼差しが真剣になってきているのを、月森は見逃さなかった。

「香穂子」

 手を差し伸べる。さきほどステージでしたのと同じように。
 反射的に手を出してしまってから「あっ」と気が付いた。

「俺と、踊って頂けますか?」

「…勿論!」

 不安はあるけれど。でも月森がうまくリードしてくれるだろう。




 輪舞曲。
 繰り返されるフレーズは、香穂子にとって耳に馴染みやすく、踊りやすい。月森がうまくリードしてくれているのもあって、足を踏む回数も少しずつ減ってきた。
 ステージで見せた堂々とした演奏姿とは正反対の、慣れないステップを懸命に追う香穂子のギャップが面白いと、周りの大人たちは微笑ましく見つめている。
 きっとこの二人は同じ道を歩いていくのだろうと、誰もが思っていた。
 数か月後にはこの二人が別々の土地で生活していることなど、誰も思ってはいなかった。











ヒトリゴト。
 一番書かなきゃいけないはずのダンスシーンが異様に短い件について。
 …すみません…(土下座
 そして連弾の布石も回収できてません…重ねてすみません…
 私の中ではシリアスではなく、なんというか、日常の一コマというか、そんな感じで書きました。終わり方がシリアスっぽいですけどね。
 輪舞曲は、A→B→C→B→D…という風にあるフレーズが繰り返される曲のことです。


2011.11.25UP