肌蹴けかけた浴衣

 




 

 夏祭りに行こうと約束したのが先週。
 香穂子は、姉からのお下がりの浴衣を着せてもらって、着崩れした時の直し方も教わって、準備万端整ったところへ、インターフォンが鳴った。

「月森くんだ!」

 じゃあ行ってきます!と元気よく下駄を履く。遅くならないようにねと背中で聞こえたがおざなりに返事をしてドアを閉めた。

「・・・・・・月森、くん」

 いつものように門柱の角に寄りかかって、香穂子の視線が恥ずかしいのか俯いた月森も。

「浴衣だー」

 紺色の浴衣。身長が高い細身だからよく似合う。

「君が浴衣を着るという話を母にしたら、父が昔着ていたものを引っ張り出してきた」

 着ないと断ったのだが「香穂子ちゃんが喜ぶわよー」とにっこり笑って・・・月森には母の背後に尖った尻尾が見えた・・・浴衣を持って迫る母に、盛大なため息をつきながら着せ替え人形よろしく遊ばれたことは秘密だ。

「似合ってるよ」

「・・・君も、よく似合う」

 そう?とポーズしてくるりと回る。
 月森が眩しそうに目を細めて「ああ」と微笑んだ。






「・・・混んでるねえ」

「祭りだからな」

 はぐれないように手をつないで、屋台を冷やかして。綿飴を買おうか真剣に悩む香穂子に月森が吹き出す。

「買えばいいのに」

「でもさ、途中でベタベタしてくるんだよね」

 月森は甘いものを食べないから香穂子一人で食べなければならない。それもあって迷うのだ。

「やっぱりいいや」

「そうか」

「カキ氷なら二人で食べれるよね!」

 ぽんと手を叩いて「カキ氷ー」とよくわからない節で歌う香穂子に、カキ氷も苦手だとは言いづらかった。


 
「ん、おいし」

 語尾にハートマークをつけたような、幸せそうな顔でカキ氷を頬張る。シロップはイチゴだ。
 結局食べるのを辞退した月森が、そんな香穂子を見て微笑んだ。

「君はいつもおいしそうに食べるんだな」

「えー、そう?よく言われるけど、自分じゃわかんないよ」

「甘いものは苦手だが、君の食べているものは食べてみたい気分になる」

「・・・食べる?」

 いや、と即答で辞退するあたりは月森らしい。
 結局食べないんじゃない、と一人ごちて、また氷の山にスプーンを突き刺した。

「花火があもうすぐ始まる頃だな」

 ここからだと少し見づらいから移動しようと、土手を上る。お互い履き慣れない下駄にあくせくしながら上りきると。

「うわあ・・・夜景が綺麗だね」

「そうだな」

 普段は日中にしか来ないから、こんな風景を見ることはない。なんかもったいないと呟くと、月森が笑った。

「君は綺麗なものが好きなんだな」

「好きだよー。食べることも好きだし、綺麗なものを見て幸せな気持ちになるのも好き。ヴァイオリン弾くのも好きだし・・・」

 ちらっと月森を見上げた。どうした?と不思議そうに見下ろす月森に、小さく舌を出した。

「月森くんのことも大好きだよ」

 途端に顔を真っ赤にして、ぎこちなく視線を逸らした。・・・耳まで赤い。

「月森くんの、そういうとこ、大好き」

 ぎゅ、と繋いだ手に力を込めた。空いた手で口元を覆いながら、ため息をついた。




 
 歩くペースが落ちてきた。
 慣れない下駄というせいもあるだろうが、先ほどから香穂子が浴衣の裾を気にしている。

「どうした?」

「着崩れしてきた・・・」

 人気のない所に移動して一応母親からは直し方を教えてもらったようにしてみるのだが、うまくいかない。

「ど、どうしよう・・・」

「一度全て解いたらどうだろうか」

 帯の結び目は差し込むタイプだから、その方が楽といえば楽だ。けれど。

「こんな所で無理だよう・・・」

 さっきよりぐちゃぐちゃになってしまった浴衣をぎゅ、と不安そうに握って月森を見上げた。
 その視線に思わず心臓が跳ねる。
 浴衣という、いつもと違う装い。裾を握り締めて不安そうに見上げるその表情。
 結い上げた髪がほつれて、うなじにかかっている。それが何とも艶めいて見えるから不思議だ。

「・・・・・・」

 月森の顔が赤くなった。え、なんで?と不思議そうに目を丸くする香穂子に「・・・なんでもない」と返すのが精一杯だった。

「とにかく」

 こほんと咳払いをして周囲を見回す。

「誰か呼んでこよう」

 浴衣を着ている年配の女性なら直せるはずだ。
 




「ありがとうございました」

「いいのよ、自分で直そうとしたのは偉いわ。でももうちょっと練習したほうがいいわね」

「・・・はい」

 月森が香穂子に背を向けた直後に「どうしたの?」と話しかけてくれた女性が直してくれた・・・ついでにと月森も直してもらった・・・おかげで、さっぱりした。

「着崩れしてるの見えたから、ちょっと気になってたのよ。声をかけて良かったわ」

「本当に助かりました」

 それじゃあね、と女性が人ごみに消えていった。それを見送りながら「ホントに良かったあ」と胸に手を当てた。

「もうちょっと勉強しよう」

「機会はあまりないが、知っていて損はないだろう」

 うん、と香穂子が頷いた。


 
「そういえば」

「どうした?」

「さっきなんで顔赤くしてたの?」

「・・・・・・」

 言われて、先ほどの香穂子の姿態を思い出してしまった。
 手を口元に当てて「いや・・・何でもない」と言っても説得力があるはずもなく。

「ねーちょっと、何で?何で?」

 繋いだ手を揺すってみても答えてくれない。
 しばらくこの押し問答で時間を稼いで、うまい理由を見つけようとしてみるのだった。

 

 

 

 

2010.12.1UP