花を想えば




「君に、これを」

 そう言って差し出された小さな包み。

 中から出てきたのは、ハンカチだった。

「桜だ」

 桜の花が刺繍され、そこかしこに咲き誇っている。

「ありがとう。大切にするね」

「ああ」

 その時はそれで終わっていた会話だった。

 そのハンカチに込められた意味さえ知らず。

 

「ハンカチってね」

 少し色褪せたそのハンカチを、大事そうに指で撫でながら、香穂子が呟いた。

「別れを意味するんだって」

「・・・ああ」

「知ってたの?」

 小さく月森が頷いた。

 読んでいた分厚い本から顔を上げて、ついでにかけていた眼鏡も外す。

 眼鏡をかけている月森にいつも見とれてしまう香穂子は、やっぱりじーっと見つめてしまい、月森の失笑を買った。

「君は本当に変わらないな」

「・・・だってー・・・」

 自分でもその癖は自覚しているから気をつけてはいるのだが、見とれてしまうものは仕方がないではないか。

「探すのに苦労したんだ」

「え?」

 それだ、と指で指し示した先には、香穂子が先ほどから手にしているピンクのハンカチ。

「桜は散りゆくイメージが強い。儚さを表す時によく使われる。けれど俺は逆にしようと思った」

「逆?」

 たくさんの花弁が散る様は、見ていて儚く、脆さを感じさせる。

 けれど月森はその逆を意味したかったと言う。

「その刺繍を見ていて気付かないか?・・・花びらが散っていないんだ」

 あ、と香穂子が驚きの声を上げた。

「全て花として咲いている。散っている花弁が一枚もない。ハンカチ自体は別れを意味するものであることは、母から聞いて知っていた。けれど、俺はその模様に意味を込めたかった」

 ハンカチは別れ。

 ではこの桜は。

「ハンカチに咲いている桜は枯れない。散ることもない。・・・離れ離れになることも」

 香穂子が驚いたように顔を上げた。

「ずっとくっついている花びらに、君と俺を重ねて見ていたかった。体が離れてしまうことがあっても、この心は・・・君を想う気持ちはずっと離れないと」

「あ・・・」

 月森の声が穏やかに部屋を満たす。

 満ち満ちている水が湛える静けさを持って。

 香穂子は知らず、涙をこぼしていた。

「ずっと、持っていてくれたんだな」

 立ち上がり、香穂子の目から流れる大粒の涙を指ですくう。

 泣くな、と少し笑いながら。

 

「君とこうしていられるから、そのハンカチを選んだ甲斐はあったのかもしれないな」

「・・・・・・」

 そんな意味があったことなど知らずにいた。

 数年経って明かされたその月森の想いに、香穂子はただ涙するしかなかった。

「泣くな、香穂子」

 香穂子が手にしていた桜のハンカチを手にとり、涙を拭う。

「泣かないでくれ」

 少し困ったように月森が首をかしげた。

 

 ただ綺麗な桜の刺繍が施されたハンカチだとしか思っていなかった。

 そんな想いが込められていたなんて。

 そんなふうに、想ってくれていたなんて。

 

「ありがと」

 ようやく小さくそれだけを口にすると、香穂子は月森の胸に顔をうずめた。

「離れないでいてくれて、ありがとう」

 返ってきたのは、やさしい口付け。

 

 

 

 

 

2010.6.19UP