Hyde and Seek!




 朝起きたら、テーブルにちょこんと置いてあった、それ。

「…何だ、これは」

 寝起きのサイアクともいえる思考回路を巡らせて考える。が、矯めつ眇めつしたところでわかるわけもない。
 突拍子もないことをしでかすのは香穂子の専売特許だから、また何か考えてるんだろうとテーブルの上に戻すと、バスルームへと足を向けた。




「…ちょっと、どういうことよこれ…」

 香穂子がテーブルの上の「それ」を見てぽつりと放った。

「見てない、…わけじゃないみたいね」

 置いた時と比べて、向きと位置が違っている。そしてシャワーの音がすることからして、その行動が読めた。

「わかんなかったのね…」

 寝起きの思考回路がその辺の人よりも鈍いことを忘れていた。
 別にドラマのように頭の上に電球がひらめく、なんてことを期待していたわけではないが。

「気付いてくれたっていいじゃない」

 よしこうなったらちょっとした意地悪をしてやろう。
 香穂子の頭の上にひらめいた電球がいつも以上に光っていた。






 月森がバスルームから出てくると、テーブルの上には何もなかった。

(…気のせい、だったのか?)

 自分でも寝起きは悪いと自覚があるだけに、はっきりと目が覚める前の出来事はぼんやりとしか思い出せない。

(…気のせいか)

「おはよう、蓮。朝ごはんできてるよー」

「わかった」

 いつもと変わらない香穂子の声に、やっぱり気のせいだと思い直して椅子を引いた。





 今日と明日はオフだから久々にゆっくりしようと話をして、昼食をどこかで食べながら買い物に行きたいという香穂子に付き合うことにした。午前中はヴァイオリンの練習をするからと予定を伝えて、香穂子いわく「練習室」にこもる。
 午前中は香穂子も家事に忙しい。現に月森が声をかけても「はーい」と聞いているのかわからないような返事だった。
 昨日までみっちりスタジオに籠っていて録音作業をしていた。
 なかなか進まない行程にレーベル側も急かすようになっていて、更にそれが現場のイライラを追い立てる。

(意見を言い合える環境はいいことだが…)

 時々自分をおいてきぼりにするほどの論争はどうにかならないものか。

「……はあ……」

 小さくかぶりを振ってヴァイオリンを構えた。





「…香穂子?」

 そろそろ出かける頃じゃないだろうか。時計を見ればまもなく12時だ。
 呼びに来るからと言っていた香穂子が、どこを探してもいない。

「香穂子」

 部屋という部屋は探したが、やっぱりいない。
 靴を見れば出かけたかどうかがわかるだろう。そう思って玄関へ。

「……手紙?」

 香穂子の字で『蓮へ』と書いてある二つ折りのメモ。開いてみると。



『蓮へ。

 私はどこにいるでしょう? 香穂子より』



「……何だこれは」

 案の定スリッパがあって靴がない。出かけたということだ。
 はあ、とまた本日二度目の溜め息をつくと、ジャケットをひっかけて携帯片手にアパルトマンを飛び出した。






 まずは市場。
 二人の住むアパルトマンからほど近い市場は香穂子御用達である。アジア系の珍しさもあって、月森夫妻はある意味有名だ。

「カホコのダンナだね!今日は一人かい?」

「彼女を探しているんだが、ここを通らなかっただろうか」

「今日は見てないねえ」

 そうだねえ、と口々に言う彼らに嘘はないだろうと判断して、軽くお礼だけ言って市場を後にした。

「…公園」

 市場を抜けた先に大きくない公園がある。そこで時々二人でヴァイオリンを弾いたり、サンドイッチを持ってランチをする。のだが。

「ここにも、いない」

 さんさんと降り注ぐ太陽の光。のんびりと日光浴する人、ジョギングで汗を流す人、足早にどこかへ向かう人、それぞれだ。
 香穂子の姿を探す月森に時折声をかける人がいる。おそらく香穂子の友人だろうと思われたが、月森に面識はない。いや、会ったことがあるんだろうが、覚えていない、と言うべきか。
 声をかけられる回数の多さが、香穂子の友達の多さとイコールなのかと思うと、普段自分がいない時の暮らしぶりがわかる気がする。
 しかしその中心にいるべき妻が見当たらないのだからどうしようもない。

「市場、公園。あとは…」

 市場までならともかく街の中を一人で歩くことはしないように言っているし、香穂子も実際一人で歩いたことはないはずだ。
 治安は悪くないけれど、月森自身、学生の頃にスリに狙われたことがある。楽器を背負っているとそれが仇になるのを向こうも知っている。その経験から、月森も今でさえ一人で歩くことは滅多にしないように心がけている。
 何か用事があれば月森のマネージャーかスタッフが付き添う。香穂子は申し訳なさそうにしていたけれど、最近では帰りがけに食事をしたりお茶をしたりして楽しんでいるようだ。

「…カフェか?」

 市場に近いカフェは二人がよく行くところだ。そこにいなければもう一か所。

「しかしあそこは…とりあえず行ってみるか」

 元来た道を戻る。
 ノーヒントで探せというのは正直きつい。香穂子とて移動しないわけでもないだろう。
 市場の手前を曲がってカフェを目指す。
 日差しがきらきらと月森を照らしていた。






 ぽかぽかした日差しは散歩や外を歩くのに心地がいい。
 今度の休みに公園へ誘ってみようと思いつつ、その次の休みがいつになるのかわからないことを思い出して気が重くなった。

(この収録のスケジュールが押してますから、終わってからお休みにしましょう、などとロータスは言うが…夏に香穂子が一時帰国したいと言っていたな。付き添えればいいが)

 一人で一時帰国したこともあるが、今回は月森と一緒に帰りたい、と香穂子が言っていたのをロータスも知っている。

(一時帰国したければとにかくレコーディングを終わらせろということか)

 優しそうな外見とは全く違う性格を見せる月森のマネージャーは、基本的に厳しい。
 香穂子には無条件で優しいのだが、微笑みながら酷なスケジューリングを組むことも時々する。体調を考えて倒れるほどの無理はさせない、という辺りで、時々彼の手の上で踊らされている気にも、なる。

「テラスにはいないようだな」

 ぶつぶつと心の中で呟いていたせいか、あっという間にカフェについた。遠目で見る限り、外にはいないようだ。
 天気がいいからだろう、外のテラスでお茶を楽しむ人が多い。外に出ることが好きな香穂子ではあるが、日焼けを気にして外に座ることは最近ない。
 テラスから中を見てみるが、人の姿はまばらで、香穂子の姿はないようだ。

「ツキモリさん。奥さまを探してるんですか?」

「ああ」

 すっかり顔なじみになったスタッフの一人が声をかけた。人を探している、ではなく、香穂子を探している、と言ったことで彼女がここに来たことが窺える。
 と思いきや。

「奥さまは今日はお見えではありません。昨日はいらしてましたよ」

「…そうか。ありがとう」

 今日のオススメはフルーツたっぷりのタルトですよ、とにこやかに見送るスタッフに軽く手を上げてカフェを出た。
 時間は既に12時半を回った。ランチしたい、という約束は守れるだろうか。

「あと思い当たるのは…しかし一人では無理なはず…いや」

(待て。ロータスなり、誰かがいるとしたら…)

 月森が休みでもロータスは仕事がある。が、香穂子の頼みとあれば余程のことがない限り断らないことを月森は知っている。それならば車を出すことくらいするだろう。

 携帯にかけてみる。

「ロータスです。どうかなさいましたか?」

「どうかも何もないだろう。香穂子が一緒にいるだろう?」

「…ええ、一緒ですよ」

「どこにいる」

「申し訳ございませんが、お答えできかねます」

「…なんだって?」

 一瞬の沈黙。

「俺より香穂子の言う事に従うということか」

「申し訳ございませんが、お答えできかねます」

「ロータス」

 完全にふざけている。その証拠に声が完全に楽しんでいる。

「今朝の仕打ちを伺ったら、カホコさんに味方したくもなるでしょう?」

「今朝?の…仕打ち?」

 何だそれは。
 訝しんで立ち止まった月森に「旦那さまは覚えてらっしゃらないようですよ、カホコさん」とロータスが隣にいるだろう香穂子に言った。ひどい、とか言う声が聞こえてきたがその声も完全に笑っている。

「そういうわけですから、ノーヒントです。…あえて言うならば」

「……何だ?」

 ふふふ、とロータスが笑う。

「もう既に辿りついているでしょう?」

 それでは後ほど、と切れた携帯を見つめる。後ほど、という部分だけやたら強調されていたのは気のせいじゃない。






 やっぱり先ほど思いついたレストランだろう。
 そう思って踵を返す一瞬。

「…………?」

 いま。
 何か、視界に映った。
 とても見覚えのある…何かが、ほんの一瞬。

「…香穂子?」

 今朝香穂子が来ていた淡いピンクのカーディガン。
 どこにでもあるといえばそうだが、ちらっと見えたそれが月森にはどうしても香穂子のものだとしか思えない。

「どこにいる?」

 そのカーディガンを探して、月森が足を踏み出した。






「確かこちらのほうに来たと思ったが…」

 視界にちょこちょこ入っては消えていくピンクを追って、人ごみを縫って歩く。
 時折ぶつかっては見失い、見つけては追いかけ、どこを歩いているのかまで考えられずにただ追いかける。

「…ここ、は」

 何だか色々遠回りしてしまったが。

「アパルトマン…」

 自宅の前に戻って来てしまったのだった。

(帰宅しているかもしれない)

 一度戻ることにした。
 いないだろうと思いつつもドアを開ける。いつもならかかっているチェーンがかけられていない。ということはいない、

「お帰り!」

 ぱあんっ!

「?!」

 物凄い破裂音と共に、聞きなれた香穂子の声。
 あまりにも驚いて無反応な月森に香穂子が頬を膨らませた。

「ノーリアクション?あ、もしかして驚きすぎて声も出ない?」

「…………何だ、これは」

 かろうじて絞り出した声が僅かに震えている。
 心臓が止まるかと思ったのだから当然だろう。

「はい、これ」

 あっさりと渡された小さな包み。
 何も考えずに手を出すとぽんと乗せられた。

「今日、誕生日。で、これ。はい、入った入った!」

 手を引かれてリビングに入ると、テーブルの上には月森の好物ばかり。そして、ロータスと数人のスタッフが待ち構えていた。

「おめでとうございます」

「お誕生日おめでとうございます!」

 口々に贈られる言葉に返す声が出ない。

「何、さっきのそんなに驚いた?」

 当たり前だ。
 いないだろうと思って開けたドアの先から物凄い音がしたのだから。

「ごめんね、ビックリさせちゃって」

「いや、…ありがとう。皆も」

「ケーキも焼いたんだよ!皆で食べよう!」

 甘い物嫌いな月森の為に作ったケーキ。
 香穂子がヴァイオリンで「HAPPY BIRTHDAY」を弾き、月森の誕生日パーティはささやかながらも賑やかに幕を開けた。

「ありがとう」

 あまり人と関わることが得意ではない月森にとって、香穂子の存在は大きい。
 こうして祝ってくれる人たちがいる。今まで両親からお祝いの電話やメールが来るだけだった誕生日も月森にとってはかけがえのない思い出の一つだが、賑やかに祝ってもらう思い出も、

(悪くない)

 月森の瞳がふと緩む。
 それを見た誰もが、このサプライズの成功を確信したのだった。












ヒトリゴト。
 超今更なはぴば話です。…今、いつ?(滝汗
 その後話も書こうかなと思います。月森の仕返し編(笑
 お待たせして大変申し訳ありませんでした。

2012.7.19UP 
…ほんとごめん月森…