RAIN MEMORIES




 カランカランと渇いた鈴の音が響く。
 その音に階段を上って行くと、予想していた青年が立っていた。傍らに女性を連れて。

「お待ちしてました」

「宜しく頼みます」

 小さく頭を下げた青年が歩み寄り、持っていたケースをテーブルの上にそっと置いた。

「久しぶりですね、月森さん」

 丁寧に開けられた先に静かに横たわる月森の愛器を取り出しながら、声の主…天沢聖司が言った。
 ええ、と端的に答える月森の表情も穏やかだ。お互いに信頼しているからこそ、余計な言葉が省かれていく。
 じゃあ早速、とメンテナンスの為に聖司が下りて行くと、終わるまでの間はすることがない。
 店の奥にあるソファーに座ると、また誰かが階段を上ってくる。

「いらっしゃいませ、月森さん。香穂子さん」

 マグカップとクッキーをトレイに乗せて、女性が入ってきた。
 出されたそれらの礼を言い、香穂子はクッキーに手を伸ばした。

「雫さんのクッキー、おいしいから好き」

 え、と目を見開いて雫が頬を染めた。けれども明るい笑顔で「ありがとうございます」とぺこりと頭を下げる姿は年齢より幼く見える。

「香穂子さんのもおいしいですよ」

「私のはざっくり作るから味がいつも違うのよねー」

 だからこの間のは偶然なんだと舌を出す。そんなやりとりを月森が穏やかに微笑みながら見つめている。



 この小さな工房を営む天沢夫婦は、月森達が日本にいる間のメンテナンスを請け負う。
 月森の祖父と聖司の祖父に親交がある関係で知り合った。
 若いが腕は確かだと言う祖父にこの場所を教えてもらい、初めて訪ねたのは三年ほど前。趣味で開いているという骨董屋の下にある聖司の工房を訪ねた時、天沢 聖司は俺ですと手を挙げた青年の若さに月森は内心かなり驚いた。しかし、楽器を見る目はしっかりしていると月森が判断できれば、安心して任せることができ るようになった。
 この夫婦の話をしたら香穂子も行きたいとせがみ、夫婦揃っての付き合いが始まったのは2年前。奥さん同士の仲もいいようで、お互いの連れ合いの困った所…これまた共通点の多いこと…を笑い合っては、本人達を困らせるのだった。
 今も、この場にいない聖司の話で盛り上がっている。階下から「聞こえてるぞ」と来れば「気のせいじゃないの?」としれっと返し、香穂子と笑っている。

「そういえば」

 何か話題を変えたほうがいいだろうと判断し、それまで黙っていた月森が口を開いた。

「耳をすませば、読みましたよ」

 途端に雫の表情が固まった。

「…どうでした?」

「普段ああいったジャンルのものは読まないが、いい作品だと思う」

「あ、ありがとうございます」

「こないだ読んでたやつ?」

 ああ、と月森が頷いた。

「蓮が珍しく音楽以外の本を読んでたから覚えてるよ。私も読ませてもらったけど、面白かった」

 気に入ったシーンを挙げては雫がエピソードを話し、香穂子が感心しながら聞き入っている。

「絵本にもなるそうじゃない。良かったね、雫さん」

 嬉しそうに雫が笑って頷いた。





「さて、月森さん」

 聖司が上がってくる。特に直す点はないが、他人が触れた事でちょっとした音のズレがあるかもしれないということで、何か弾いてみることになった。
 数曲さらったところへ、雫がポンと手を打った。

「聖司もどう?」

「俺が?もう無理だよ」

 弾くほうより作るほうを選んだ自分だ、技術が衰えてしまって人に聴かせられない。そう言う聖司に、月森が口を開いた。

「音楽は技術もある程度必要だが、一番大切なのは演奏しようという心だと、俺は思います。あなたが思う音楽を、あなたは奏でることができるはずだ」

 聖司は黙っている。
 何とは無しに香穂子を見ると「経験者は語る、ですよ」と片目をつぶってみせた。

「天沢さんしか弾けない音楽を、是非聴かせて下さい」

「…メンテナンスの時以外弾かないから、目も当てられないですよ」

 やった!と雫が小さく万歳した。
 月森も一緒にどうかと聖司の視線が問うが、静かに首を横に振った。小さく溜め息をつき、観念したかのように腰を上げる。
 パチン、とケースを開けて取り出した自分のヴァイオリンを数秒の間見つめ、構える。





 聴いたことのない、音楽だった。
 少なくとも、月森は今まで、こんなに切ない音楽を聴いたことがない。
 天沢夫妻の過去は、月森たちのそれに似ている所があると聞いた。過ぎる程に遠い距離を越えて、二人の絆は育まれたと。10年以上という気の遠くなるような年月を離れて過ごしたのだと聞いた時には、月森も香穂子も何も言えなかった。
 離れている間の気持ちを思い出させる聖司の音楽は、この場にいる全員の胸を苦しくさせた。

(これが、天沢聖司という人の音楽なのか)

 目を閉じ、眉をひそめ、哀しく歌われる聖司の音楽。
 香穂子は涙を流し、雫でさえ目を潤ませている。
 月森も、胸にこみあげてくるものがあった。二人のように涙として零れるのではなく、もっと…溢れてくるような。

(…想いが)

 そう。
 月森の香穂子への想いが、聖司の雫への想いが。
 次から次へと枯れることなく湧き出す泉のようだと月森は気がついた。
 だからこんなにも苦しく、愛おしいと思うのだ。

「いい、音楽を聴かせてもらいました」

 静かに弓を下ろした聖司に、唯一言葉を発せる月森が・・・女性陣は涙に暮れているからだ・・・口を開いた。

「月森さんの音楽に比べることもおこがましいほどの音ですが」

「いいえ。あなたの音楽は、あなたのものだ。あなたがそれでいいと思えるならば、それが世界で一番の音楽になる」

 ふ、と聖司が笑った。

「俺が奏でる音楽は・・・」

 言いかけて、雫を見た。そうしてまた月森に視線を戻す。

「・・・いや。ありがとうございます、月森さん」

 言いかけた言葉が少し気になるが、月森も小さく笑った。





「いい夫婦だよね」

「そうだな」

 聖司の工房を出ると、香穂子が手を繋ぎながら月森を見上げた。

「また、来ようね」

「ああ」

 夕暮れの坂道をのんびりと歩きながら、二人はただ黙って街の暮れ行く様を見つめていた。
 また明ける夜の行方を、天沢夫婦と自分達の過去に思い巡らせながら。


















ヒトリゴト。
 おわかりかと思いますが。
某アニメの主人公たちが出てきます。設定など、色々おかしいところはありますが・・・あのアニメを見て思いついてしまったので、書いてみました。