| Under the ROSE |
「バラ?」
「そう、バラ。見に行きたいんだけど、いいかな?」
長いウィーンの冬がようやく終わりを告げ、日差しが暖かいこの頃、近くのバラ園が見ごろだという話をいつもお世話になっている隣の奥方から聞いてきたようだと察しをつけて「行ってくるといい」と返事を返す。
ところがどうやら自分の返事は自分の奥方の気に召さなかったようで、ぷうと頬を膨らませた。
「私だけじゃなくて。蓮も一緒に、って言ってるの!どう?」
見誤った返事をしてしまったことで申し訳なくなりつつ、咳払いで誤魔化す。
「次の休みでいいのか?それならば構わないが」
そしてその返事は、今度こそ彼女を満足させたのだった。
見ごろ、と言うには少しだけピークを過ぎてしまったローズガーデン。バラの香りが充満していて、まるでおとぎ話の世界だな、などと呑気な事を考えてみ
る。当の誘った本人は、自分が何と言ったのか忘れたのではないかとさえ思うほど物の見事に隣を歩いている人間の存在を忘れているかのようだった。
「バラって言っても、色んな色があるんだね」
見て!と指差した先に、変わったというよりも、目を引く色があった。
「ブルームーン、って言うんだって」
薄い紫の花弁の多いバラが咲いている。月明かりをそのまま映し出したかのような淡いそれは、さわさわと風に揺れて二人へ向かって頭を垂れたようにも見えた。
「このバラ園って、花言葉も書いてあるんだね」
しかしそれを理解できるほど香穂子のボキャブラリーは多くない。くるっと振り返った香穂子に少しだけ嘆息すると、その花言葉が書いてある立て札へと視線を移した。
ブルームーン。1964年にドイツより作出。気品ある青いバラとして、コンクールで数々の受賞。日に透けて青くも見えることからブルームーンと名付けられる。
花言葉は、
「Edel,Stolz・・・だそうだ」
「えーでる、しゅと?」
「シュトルツ」
「エーデルって、エーデルワイスのエーデル?」
ああ、と月森が頷いた。
「高貴な白、という意味だ。気品ある、とも言うが。これでエーデルの意味はわかったな」
「・・・エーデルは高貴・気品。しゅとるつ、は?」
あまり日常会話の中では出てこないのだろう、月森にとっては留学時代からよく出ていた単語だっただけに、すぐに覚えたものだが。
「英語で言うPride、誇り。何にせよ、少し誇り高い意味を持つものばかりのようだな」
「うーん、でもこの色を見てたらそんな感じがするよ」
薄い紫なのだが、説明どおり、日に透けて青く見える時がある。日の光を受けて、という所に「月」を連想させるのだろうと思う。
「育てやすい品種だそうだから、後で苗を売っているか見てみようか」
「え、そうなの?でも私、緑枯らしなんだよね・・・」
「周りに聞きながら育ててみるといい。しかし、バラは棘があるから充分に気をつけて」
うん、と香穂子が頷いた。すっかり虜になったらしく、香穂子はその場から動こうとしない。半歩後ろにいる月森のことも忘れていないわけではなさそうだが(事実ちらちらと気にする素振りは見せている)、まだ見ていたいらしい。
「俺は向こうの休憩スペースにいる。後で声をかけてくれ」
「ちょ、待っ・・・!」
一人でゆっくり堪能したいだろうからと気遣ってそこを立ち去ろうとした月森のジャケットの袖をかろうじて指先が捕らえた。驚いて月森が振り返ると「ごめんね、そうじゃないの」と申し訳なさそうに俯いた。
「この花、好きだなあって思うのはね。蓮に似てるからなんだよ」
「・・・俺に?」
不思議そうに首を傾げると、さらりとした青みがかった髪が揺れた。
「色を見てそう思ったし、花言葉を聞いて尚更そう思ったよ。これは、蓮にぴったりだなあって」
青い月。
日の光を受けてこそ輝く、月。
太陽がなければ光を放つことのないそれは、けれども己のプライドやあるべき姿をきちんと知っている。そうして光輝くからこそ美しいのだ。その誇りを、気品を、太陽から貰い受ける光に晒して青く輝く。
蒼い、月。
「それで、俺、なのか」
ヴァイオリンに対するプライド。技術を磨き続ける努力。そうして得たものは、確実に自分の音色を高貴なものへと変えていく。
だから自分と見比べていたのかと問えば、恥ずかしそうに「うん」と頷く。
「それじゃあ」
ジャケットの袖を掴んでいた手を包み込むように。少し冷たくなってきたその手の甲に、恭しく口づけた。
「この薔薇に誓おう。俺は何があっても君を守る。同時にヴァイオリンも弾き続ける」
かつては香穂子とヴァイオリンを天秤にかけた自分が言えることではないのかもしれないが。
それでも、彼女の父親に誓ったのだ。両方を守ると。
そして改めて、この青い薔薇に誓う。
「あの頃の俺は、君とヴァイオリンどちらかしか選べなかった。両方を選び取れるほどの器用さを持ち合わせていなかった。君と音楽を秤にかけて、君を天秤の上に残した。でもそれは君が大事じゃなかったわけじゃない。大事だからこそ、残したんだ」
秤の上に。
迷わなかった、と月森は言った。
香穂子とヴァイオリンを天秤に乗せはしたが、迷うことなく選んだと。
「音楽を選び取ったのは、俺にはそれしかなかったからだ。だから、音楽を選んだ。君を置いていくことに何の思いもなかったわけじゃない。けれど、君と俺に
はヴァイオリンという糸がある。今ここで別れを選んだとしても、ヴァイオリンを弾いているならば、いつかどこかでまた会えると信じていた。形はどうあれ、
俺たちの道はまた交わる日が来ると」
折に触れて月森の気持ちを聞く機会はあったが、こんな風に一気に話すことが珍しくて、香穂子は少し驚きを含めた思いで聞いていた。
「でも今なら両方を選び取れる。秤にかけることなく。だから、・・・香穂子?」
にこにこと笑う香穂子に気付くと「ありがとう」と優しい声音が紡がれた。
「ありがとう。私を天秤の上に残してくれて」
いつか言えたらと思っていた言葉。
あの頃の自分はまだそこまで思い至ることができずにいたから、毎日が辛くて寂しくて仕方がなかった。
でも今ならわかる。
大事だと思うからこそ残していったのだということを。
「だから、ありがとう。蓮が音楽を選んだから、私は今、ここにいるんだね」
月森の顔が僅かに歪んだ。今まで申し訳なく思ってきた事に恨まれこそすれ感謝されるとは思ってもいなかったのだろう。
「私、あなたに出会えて良かった」
繋いでいた手に力を込める。すぐに握り返す手の、少し低いけれど優しい体温。
「私も誓います。ずっとずっと、蓮の傍にいる」
ずっと二人でヴァイオリンを奏でていきたいから。
傍にいて、支えていきたいから。
「だからブルームーン、お願いね。私たちの事をずっと見守っててね」
しばらくして後、月森家の窓辺にはその誓いを見守るべく青く輝くバラが咲いていたという。
ヒトリゴト(ブログより
最初はタイトルが浮かび、バラの品種を見てたら「ブルームーン」発見。花言葉を見て・・・チーン、と思いついたお話でございます。
いや長かった・・・最近の得意ワザですな、長話。3回下書き保存したもんね!(関係ない
このお話は調べ物回数ナンバーワンです。バラ、花言葉、ドイツ語。いかに普段のらりくらりと書いてるかっていうのがバレてしまいますね。
でも書きたいこと書けて、久々に満足しておりますよ。力不足でつまらないかもしれませんが(弱気
2011.2.6UP