不器用に丁寧に愛撫する

 




 

 いつだってなくならないものは、なくならない。

「あー、…うー…」

 ヴァイオリンを手に持っているからジタバタもできず、結果口で色々な独り言を喋っている「あやしい人」と化した。

「香穂子。静かにしてくれないか」

「あ、ごめん。今移動するね」

 王崎から頼まれた突発的な「演奏会」に、ちょくちょく二人も駆り出されることがあり、そういう時は大体控室も同じ。
 着替える時は男性陣に部屋から出てるなどの配慮をしてもらっているのだが、さすがにずっとというわけにはいかない。

「…で、ここで…、…あーっ違うそうじゃない…」

「香穂子」

 ゆっくりと区切るように名を呼ばれて再度促されるのだが、止まらないのだから仕方ない。

「うー、ごめん…」

「緊張しているのか?」

 どきっと心臓が跳ねた。その一瞬の沈黙が明快な答えを物語っていて、月森が僅かに目を丸くした。

「珍しいな」

「ここ最近はなかったからねー、久しぶりに人前に立つって思ったら何だか、…手が、震えてきちゃって」

 演奏に支障がないようにしようと思えば思うほど、手の震えは止まらない。
 月森が小さく嘆息して席を立った。

「深呼吸は?」

「した」

「イメージトレーニングは」

「してた。けど、ステージで転ぶ…」

 はあ、と月森が今度こそ溜め息をつく。演奏のイメージだけをすればいいものを、香穂子はステージから出る所からやっていたらしい。

「手のひらに三回、人という字を…」

「書いた、飲んだ、三回も。でも、ダメ…、っていうか月森くん、そんなの低俗だとかって思ってると思ってた」

「否定はしない。が、それで効果が出るのならば価値はあるだろう」

「月森くんでも緊張、するの?」

「する。…俺だって人間だ、普通に緊張くらいする」

「へー、…意外」

「…君は、俺を一体何だと思ってるんだ…」

 へへ、と香穂子の誤魔化し笑いを流すべきか迷う。

「二人ともいいかい?そろそろ時間だから、ステージ袖に移動してもらえるかな」

「わかりました」

 今回は月森、香穂子、志水、冬海の四人だ。後輩たちはそれぞれ楽器を手に出ていったから、どこかで練習しているのだろう。
 呼びに来た王崎も手伝いとして主に四人の補佐に回っている。飛び入りできればするよ、という程度には参加したい意志はあるようだから、そのうちヴァイオリンを手にやってくるだろう。
 その王崎が出ていくと、香穂子の緊張が一気に高まってしまって、今のやりとりで解れかけていたものが一気に元に戻ってしまった。

「香穂子」

 身体を固く強張らせてしまった香穂子に、月森もどうしようか悩み。

(…あ)

 思い出した。

「香穂子」

「うん」

「手を、出してくれないか」

「手?」

 左手にヴァイオリン。右手に弓。
 利き手の右手を差し出した。

「弓が少し邪魔だな。ほんの少しだけ俺が預かる」

「う、うん」

 何をするんだろうという気持ちもあるけれど、月森だったら楽器を粗末に扱わないことはわかっているから、素直に弓を離した。
 差し出された手。
 白く、細い指。
 しなやかな、そしてヴァイオリンを弾くに相応しくなってきた、その手。

「月森、くん?」

 そうっと指先をなぞる。
 固くなってきた指先の皮膚。
 短く切り揃えられた爪。

「ちょ、っ…!」

 その手首に、ゆっくりとかがんで。
 そうっと唇を寄せた。

(ゆっくり数えて…一)

 香穂子が驚いたように手を引っ込めようとするのを押さえた。

(…二)

 月森が祈るように瞼を閉じる。

(…三)

 香穂子の腕から力が抜けた。
 離れがたくて、ちゅ、と水音を立てて唇を離す。

「どうだろうか」

 預かっていた弓を差し出しながら窺うように香穂子を見る。

「………………っ」

 真っ赤になって口をぱくぱくさせていた。

「?」

「何その『どうした?』って顔!そう言いたいのはこっちだよ!今の、今の…今の」

「おまじないだ」

「…おまじない?」

 ようやく弓を受け取る。

「昔、ヴァイオリンを始めて間もない頃に出場したコンクールで、今の君と同じように緊張が解けなくて。そうしたら、母が『おまじない』だと」

 手首に力を入れてはだめよ。
 そう言いながら右手の手首、ちょうど脈の上あたりにゆっくりと三秒間。

「…思い出したのでやってみたんだが」

「…………月森家、すごいね……」

 揶揄されたのかと一瞬顔がかっと熱くなる。けれど香穂子の表情は至って真面目だ。

「緊張、してないよ…」

「そうか、それならばよかった」

 行こうか、と足を踏み出した月森に「ありがとう」と言うと月森が立ち止まり、振り返った。

「いや、礼を言うのはこちらのほうだ」

「?? なんで?」

 僅かに顔を赤らめた月森が「…いや、何でもない」と急ぎ足で出ていく。

「何でだろう?」

 おかげですっかり緊張がほぐれた香穂子とは対照的に、後輩たちにも「月森先輩、様子が変ですね」と言われる程度には挙動不審になっていた月森の演奏は、過去の実績の賜物かそんな硬さを感じさせない演奏を披露してみせ、拍手喝さいを浴びて終わったのだった。















ヒトリゴト。
 で、タイトルに戻るのであります(ぇ
 手首にちゅーする所にお題を持ってきたかったのです。月森視点で次に続きます。これから書くのでのんびりお待ち頂ければ嬉しいです。





2012.6.22UP