| 100年先も傍にいて |
結婚して、月森が活動拠点を置くウィーンにやってきて、数ヶ月。
言葉の問題は残るものの、生活にもだいぶ慣れてきた。
そんなある日のこと。
ぱらぱらと雑誌をめくる。
特集が「新婚家庭の料理」と書いてあったから、新婚がどうとかいうよりも料理のレシピが欲しくて買ったものだ。
結婚してまだ1年にも満たない自分たちは「新婚」なのだろうけれど。
「これいいかも」
香穂子は、ひとつの料理に目を止めた。
「黄金率のクリームパスタ」と書かれたそのレシピは、材料の比率が覚えやすいというものだった。
付け合せのミニサラダやスープのレシピも載っている。少し自分なりにアレンジもできないわけではないと判断して、
「よし、今日の夕飯はこれにしよう!」
いそいそと材料を書き出しにかかる。
今日は月森がツアーから帰ってくる日。演奏は珍しく昼だけだから、夕飯に間に合うように帰ると昨日連絡があった。
その後は3日ほどのオフが待っている。
ホテルでの食事や招待先での食事はおいしいけれど、君の愛情がないから今ひとつなんだと真面目な顔で言ってのけた伴侶。
思い出して赤くなった頬をぱちんと軽く叩いて「お買い物!」と立ち上がった。
「ごちそうさま」
小さな頃からきちんと躾けられていたことが窺える、そうした行儀の良さも、今の月森蓮という人間を構成している要素なのだろうと思う。
「おそまつさまでした」
香穂子が笑う。片付けたらお茶淹れるからと言うから、月森はリビングのソファに移動した。
マガジンラックの隅のほうに、押し込まれたらしい雑誌が見えた。香穂子にしては珍しく雑だなと思いながら引き抜く。
「新婚の家庭料理特集」
新婚という言葉に反応してしまう自分が情けないと思いつつ、どんな料理が載っているのかとぱらぱらめくる。
「・・・あ」
角が折られたページには、たった今食べ終えたばかりの料理が・・・多少アレンジされていたが・・・載っていた。
大きく書かれたタイトルの脇に、小さくサブタイトルが書いてある。
直後。
月森の目が大きく開かれて、耳まで真っ赤になった。
明らかにそれがわかるから、自分でどうしようもできなくて手で口元を覆う。隠れた事に油断して唇が緩みそうになるから、今度は顔の半分を覆う。
「・・・蓮?」
ティーセットをトレイに載せた香穂子が、不思議そうな表情で月森を見ていた。
「ああ、・・・いや」
なんでもない、というには何でもなさすぎるでしょと先制され、月森は言葉を失った。
無言で今見ていたページを渡す。
「ああ、これ?見つけるの早いね、蓮。おいしそうだったから、早速作ってみたんだ」
おいしかったねと無邪気に笑うということは、きっと気付いていないのだろう。
「それを・・・」
小さく、わかりづらい場所に書かれたサブタイトルを指差した。
こんな言葉に反応する自分もどうかと思うのだが、反応してしまうのだから仕方ない。
子どものような初々しさなんて、とうに超えているのに。
「黄金率のクリームパスタ。・・・100年先も、傍にいて・・・?」
材料の比率は覚えやすいのに、ご主人にきっと気に入られること間違いナシ!
この黄金比率は夫婦の黄金比率とも言われています。
100年先も一緒にいて欲しいという、アナタのメッセージと一緒に、愛を込めて
という台詞に、香穂子は頭が一瞬真っ白になった。
「えー・・・と?」
「・・・・・・」
月森がぎこちなく視線を逸らした。
「つまり・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
こんな記事ごときで赤くなるなんて。
月森しか知らない、香穂子の最奥の柔らかさを何度も味わったことだってあるのに。
「そういうことだから」
「え」
「こんな記事に先越されちゃったけど」
「・・・香」
「ずっとずっと、傍にいてください」
これからも宜しくお願いします、と。
小さく香穂子が頭を下げた。
「香穂子」
頭を上げると、月森が見つめていた。
琥珀色の瞳に、明らかな意思を含んで。
「・・・ずっと傍にいる」
手を伸ばすから、ふらふらと吸い寄せられるようにその腕の中に収まる。
2週間ぶりの体温は、熱かった。
「100年先も、その先も。ずっと、君と一緒だ」
「・・・うん」
横抱きにされて向かう寝室で、きっと今日は眠れないだろうなとどこか冷静に考える自分に笑うと「何か?」と返された。
「ううん。・・・好きだよ」
月森はこの上なく幸せそうに、ふわりと微笑んだ。
「俺もだ。香穂子」
愛している、と何度も告げられるのは、ほんのもう少し、後のこと。
2010.2.18UP