「お帰りなさいませ、旦那様!」
突然の言葉に、月森はぎょっとして立ちすくんだ。
「って言ってメイドさんが迎えてくれるカフェが流行ってるんだってー」
「・・・そうなのか」
心臓がまだドキドキしている。
珍しく月森のほうが練習室に来るのが遅れてしまい「15番にて」という一言だけのメールで辿り着いた香穂子に、「遅れてすまなかった」と謝りながら入室しようとした矢先に、先ほどの言葉が振って来たのだった。
突然の「旦那様」発言に驚いている月森に、香穂子はしてやったりと笑う。
付き合い始めて数ヶ月。
突然すぎる香穂子の発言には慣れてきたつもりでいたが、これは心臓に悪すぎるとため息をついた。
「びっくりさせちゃった?」
「・・・かなり」
あはは、そっか、ごめんねと悪びれもせずに笑うから。
負けず嫌いな性格がむくむくと頭をもたげる。
「香穂子」
余程驚かせたことに満足しているのだろう、にこにこと香穂子が振り返る。
「なに、月森く・・・」
その悪戯な口を、自分のそれで深く塞ぐことで黙らせた事に、月森は満足そうに微笑んだ。
「そういえば、あったね、そんなこと」
「あれは、かなり驚いたんだ」
「そうだったの?あんまりそう見えなかったけどなあ」
マーケットで買った野菜やパンを二人で手分けして持ちながら。
どこからそうなったのか覚えていないが、昔の話になった。
心臓が飛び出すかと思ったなんて真面目に言うから、香穂子が声を上げて笑う。
「でもその後ちゃんと仕返しできたんだから、おあいこでしょ」
玄関の鍵を開けながら、月森は「あれくらいでは足りなかった」と零す。
「学校じゃなかったら、3倍返しだった」
「えー?3倍って、どれだけ?」
「香穂子」
先に入った香穂子を呼び止める。靴を脱ぐために荷物を下ろしてかがんでいた香穂子は「なあに?」と振り返らずに答えた。
「言ってくれないか」
「何を?」
「さっきの話で、君が言った言葉」
「・・・え、ええええっ?!」
正真正銘、夫婦になったのだから。そうやって主人を迎えてくれるんだろう?と。
かがんだ姿勢のまま固まっている香穂子を振り向かせる。
逃げられないように壁際に追い詰めて。
「かほこ」
「うううう・・・」
顎に指を添えて上向かせて。滅多にない、極上の甘い微笑で。
「言って」
「・・・・・・」
「・・・おかえりなさい、・・・旦那様」
消えそうなほど小さな声で呟いた言葉を、月森はちゃんと聞き取った。
「ああ、ただいま、香穂子」
あの時は言うことのできなかった言葉。
今は堂々と言うことができる。
もうお帰りなさいって言うたびに思い出したらどうするのと反論する唇は塞ぐに限る。
「ただいま」
幸せそうに言うから、何も言えずに香穂子は再び下りてくる唇を受け止めた。
ヒトリゴト。
高校生設定で書き始めちゃって、このまま終わりそうな勢いだったのを「ちょっと待て!」と二人を引き止めて、急遽モノローグにしてもらいました。
おかえりなさい、と言ってくれる人がいる幸せをかみ締めたいんだろうな、月森氏。