せっかくの休日なのにと遠慮する香穂子に「気にするな」と返しながらやってきたのは。
人で溢れるマーケット。
日曜の朝だからということもあるのか、人が多い。
いつもはこんなにいないんだけどと彼女も驚いていた。
「どこから行くんだ?」
「あ、じゃあパンからいこうかな」
手を繋ぎ、彼女が少し先を歩き出した。
食料の買出しに付き合うと言い出したのは俺だった。
いつもギリギリまで買い物に行かないから、買うときは量も多くて時々1回で足りないことがあると言っていた。毎日少しずつ買えばいいじゃないかと言うと、少しでもヴァイオリンを長く弾いていたいからなのだと恥ずかしそうに俯いた。
彼女が普段どんなことをして過ごしているのか、仕事に出かけてしまうとわからない。
マーケットのおじさんと仲良くなったと聞かされれば、異国の地に慣れてきて良かったと思う反面、他の男の話に面白くないと思う自分もいたりする。
自分の狭心さに呆れながら、少しでも一緒にいたいからと無理を言ってついてきたのだ。
「人に酔いそうなときは言ってね?」
「ああ」
ヨーロッパの人たちは日本人に比べて体臭がきついとはよく言われている。それを誤魔化すために香水が作られたのだが、やはりここでも多少なりともそういった匂いがしていた。それを香穂子は心配しているのだろう。
大丈夫だからと微笑んで、いつも購入しているというパン屋へ。
手早く買い物をすると、今度は果物や野菜を。
「おや、旦那さんかい?」
早口の、少し訛りのある言葉。最初の頃に、何を言われているか全くわからなくて笑われたのだと香穂子が言っていたのを思い出した。
「カホコにこんな男前のご主人がいたなんて!」
と聞けば、隣にいた恰幅のいい女性が
「そりゃ、あんたに比べれば何倍もいい男だよ」
としれっと返す。そんなやり取りを笑って流しながら、お釣りを受け取って歩き出す。
後ろから「また二人でおいで!」と声がかかった。
「いつもああなのか?」
「え?ああ、あのおじさん?明るくて面白いおじさんだよね」
香穂子の名前を知っているということは、それだけ馴染みなのだろう。いいことだと思う反面、少し嫉妬する自分に苦笑してしまう。前を歩いている香歩子には気付かれなかったが。
「あとはスーパーに行けば買えるものだけだね」
「車を出そうか」
香穂子がいつも行くスーパーは、歩いていくには少し遠い。いつも荷物を持って帰ってくるのは大変だろうから、彼女にも車の免許を取ったらどうかと言ったことがあるのだが「絶対ムリ!」と固辞された。
「今日は急いで買うものがないから大丈夫」
「そうか」
帰る途中で、香穂子が何かをチラチラ見ていることに気がついた。
雑貨屋(何でも置いてある、日本で言う個人商店のような雰囲気だ)のショーウィンドウに飾られている、小さなウサギのぬいぐるみ。
対で置いてあるそれは、片方は青いチェック、もう片方はピンク色のチェックの服を着せられて座っていた。
「これが気になるのか?」
「うん・・・これね、売り物じゃないんだって」
少し寂しそうに香穂子が言った。
「ここのおじさんの息子さん夫婦がくれたものなんだって」
結婚式の際に、自分が生まれた時の体重と同じテディベアを贈る習慣があるとは聞いたことがある。日本でもそういった習慣が定着しているようで、俺たちが結婚する時にも贈ったのだった。
香穂子の足がとうとう立ち止まる。
「香穂子?」
「でもね」
息子さん夫婦、亡くなったんだって。
小さな声で、彼女は確かにそう言った。
「車がぶつかって、跳ね飛ばされて、・・・そのまま」
「・・・そうか」
彼女の背中をそっと押して促す。また歩き出しながら、香穂子が話し出した。
「息子さんはね、とっても頭が良かったんだって。学校ではいつもトップの成績で」
「ああ」
「大学を主席で卒業して、銀行に勤めて。そこで奥さんと知り合って、結婚式を挙げた次の日に・・・」
嗚咽が漏れた。俺はただ、彼女の背中をさすってやることしかできなかった。
唐突に終わりを迎えた命。
そして、その命を想う俺たちの命もまた、いつか潰えるものだ。
できればそれはずっと先であってほしいと願うけれど。
先のことなんてわからないということを、俺たちは身をもって知っている。
「香穂子」
肩を揺らして泣く彼女に、声をかけることさえ躊躇われた。
けれど、俺が今言えることは。
「彼らには彼らの、命の長さがある。俺たちは、彼らの分まで少しでも長く生きることが、俺たちにできる彼らへの『証明』だと思う」
「しょう、めい?」
そうだとひとつ頷く。
「彼らが生きていたという証明だ。それを忘れずに生きていくことが、俺たちがすべきことだと思う」
しばらくの沈黙の後。
「そう、だね」
先ほどよりは少し明るい声で、香穂子が言った。
「そうだよね。どんな顔だったかは知らないけど、どんな人たちだったのかは知ってる。だけど私も蓮も、息子さん夫婦が生きてたってことを知ってるんだものね」
「ああ」
あのウサギのぬいぐるみが。
俺や、香穂子が。
彼らが生きていたという証を知っている限り。
彼らは生き続けることができる。
俺たちの、心の中で。

ヒトリゴト。
続きますよ。
おもいっきり暴走しちゃったなあ・・・こうなるハズじゃ・・・
2010.2.22UP
人で溢れるマーケット。
日曜の朝だからということもあるのか、人が多い。
いつもはこんなにいないんだけどと彼女も驚いていた。
「どこから行くんだ?」
「あ、じゃあパンからいこうかな」
手を繋ぎ、彼女が少し先を歩き出した。
食料の買出しに付き合うと言い出したのは俺だった。
いつもギリギリまで買い物に行かないから、買うときは量も多くて時々1回で足りないことがあると言っていた。毎日少しずつ買えばいいじゃないかと言うと、少しでもヴァイオリンを長く弾いていたいからなのだと恥ずかしそうに俯いた。
彼女が普段どんなことをして過ごしているのか、仕事に出かけてしまうとわからない。
マーケットのおじさんと仲良くなったと聞かされれば、異国の地に慣れてきて良かったと思う反面、他の男の話に面白くないと思う自分もいたりする。
自分の狭心さに呆れながら、少しでも一緒にいたいからと無理を言ってついてきたのだ。
「人に酔いそうなときは言ってね?」
「ああ」
ヨーロッパの人たちは日本人に比べて体臭がきついとはよく言われている。それを誤魔化すために香水が作られたのだが、やはりここでも多少なりともそういった匂いがしていた。それを香穂子は心配しているのだろう。
大丈夫だからと微笑んで、いつも購入しているというパン屋へ。
手早く買い物をすると、今度は果物や野菜を。
「おや、旦那さんかい?」
早口の、少し訛りのある言葉。最初の頃に、何を言われているか全くわからなくて笑われたのだと香穂子が言っていたのを思い出した。
「カホコにこんな男前のご主人がいたなんて!」
と聞けば、隣にいた恰幅のいい女性が
「そりゃ、あんたに比べれば何倍もいい男だよ」
としれっと返す。そんなやり取りを笑って流しながら、お釣りを受け取って歩き出す。
後ろから「また二人でおいで!」と声がかかった。
「いつもああなのか?」
「え?ああ、あのおじさん?明るくて面白いおじさんだよね」
香穂子の名前を知っているということは、それだけ馴染みなのだろう。いいことだと思う反面、少し嫉妬する自分に苦笑してしまう。前を歩いている香歩子には気付かれなかったが。
「あとはスーパーに行けば買えるものだけだね」
「車を出そうか」
香穂子がいつも行くスーパーは、歩いていくには少し遠い。いつも荷物を持って帰ってくるのは大変だろうから、彼女にも車の免許を取ったらどうかと言ったことがあるのだが「絶対ムリ!」と固辞された。
「今日は急いで買うものがないから大丈夫」
「そうか」
帰る途中で、香穂子が何かをチラチラ見ていることに気がついた。
雑貨屋(何でも置いてある、日本で言う個人商店のような雰囲気だ)のショーウィンドウに飾られている、小さなウサギのぬいぐるみ。
対で置いてあるそれは、片方は青いチェック、もう片方はピンク色のチェックの服を着せられて座っていた。
「これが気になるのか?」
「うん・・・これね、売り物じゃないんだって」
少し寂しそうに香穂子が言った。
「ここのおじさんの息子さん夫婦がくれたものなんだって」
結婚式の際に、自分が生まれた時の体重と同じテディベアを贈る習慣があるとは聞いたことがある。日本でもそういった習慣が定着しているようで、俺たちが結婚する時にも贈ったのだった。
香穂子の足がとうとう立ち止まる。
「香穂子?」
「でもね」
息子さん夫婦、亡くなったんだって。
小さな声で、彼女は確かにそう言った。
「車がぶつかって、跳ね飛ばされて、・・・そのまま」
「・・・そうか」
彼女の背中をそっと押して促す。また歩き出しながら、香穂子が話し出した。
「息子さんはね、とっても頭が良かったんだって。学校ではいつもトップの成績で」
「ああ」
「大学を主席で卒業して、銀行に勤めて。そこで奥さんと知り合って、結婚式を挙げた次の日に・・・」
嗚咽が漏れた。俺はただ、彼女の背中をさすってやることしかできなかった。
唐突に終わりを迎えた命。
そして、その命を想う俺たちの命もまた、いつか潰えるものだ。
できればそれはずっと先であってほしいと願うけれど。
先のことなんてわからないということを、俺たちは身をもって知っている。
「香穂子」
肩を揺らして泣く彼女に、声をかけることさえ躊躇われた。
けれど、俺が今言えることは。
「彼らには彼らの、命の長さがある。俺たちは、彼らの分まで少しでも長く生きることが、俺たちにできる彼らへの『証明』だと思う」
「しょう、めい?」
そうだとひとつ頷く。
「彼らが生きていたという証明だ。それを忘れずに生きていくことが、俺たちがすべきことだと思う」
しばらくの沈黙の後。
「そう、だね」
先ほどよりは少し明るい声で、香穂子が言った。
「そうだよね。どんな顔だったかは知らないけど、どんな人たちだったのかは知ってる。だけど私も蓮も、息子さん夫婦が生きてたってことを知ってるんだものね」
「ああ」
あのウサギのぬいぐるみが。
俺や、香穂子が。
彼らが生きていたという証を知っている限り。
彼らは生き続けることができる。
俺たちの、心の中で。
ヒトリゴト。
続きますよ。
おもいっきり暴走しちゃったなあ・・・こうなるハズじゃ・・・