僕の全てで君を守る

 




 

 インターフォンを前に、俺は盛大なため息をついた。
 気が重い。
 けれど通らないわけにはいかない「通過儀礼」。
 もう一つため息をつくと、俺はインターフォンのボタンを押した。






「いらっしゃい、月森くん」

 出迎えてくれた香穂子の母親が、にこやかな笑顔で「こちらへどうぞ」と先に立って歩き出した。

「お父さん楽しみにしてるのよ〜、緊張しなくても大丈夫だから!」

「・・・はい・・・」

 まあ無理もないかしらねという言葉に、尚更気が滅入ってきた。

「香穂子!月森くんいらしたわよ!」

 二階に向かって叫ぶと「今行く!」と香穂子の声が聞こえた。

「ごめんなさいね、なんだかさっきからドタバタしてて・・・」

「いえ」

 さあどうぞと通されたリビングには・・・誰もいなかった。

「あら?お父さんここに座って待ってたんだけど。どうしたのかしら」

 そこに座って待っててねと促されて、居心地が悪い思いをしながら待つこと数分。
 香穂子が二階から降りてきた。

「ごめんね月森くん、お出迎えできな・・・」

 言いながらやってきた香穂子が、途中で言いかけて立ち止まった。
 微妙な雰囲気の空気が漂う。

「何か?」

 どこかおかしいところでもあったのだろうか。
 日野家の両親へ結婚の挨拶なのだからとスーツで来たのだが、

「・・・まずい」

「?」

 頬を手で押さえて「うわあ、どうしよう!」と騒ぎ出した。

「香穂・・・」

「月森くんのスーツ姿、めちゃくちゃかっこいいよ、お母さん!どうしよう、顔が赤くなってきた」

「顔洗ってきたら?」

「お化粧してるのに洗えないよ!」

 そうねえ、などと親子でのんびりしている。
 一方、俺はというと。


(・・・尚更居心地が悪い)


 いたたまれない気持ちで、知らずため息をついていた。







「待たせたね」

 母娘のひと騒ぎが収まった頃、香穂子の父親が現れた。
 何度か会ったことはあるが、今日の用件が用件だけに、緊張する。

「まあそう硬くならず。楽にしていなさい」

 立ち上がった俺に再度席を勧め、父親が座るのを待って、俺も席に着いた。

「日本にはいつまで?」

 お茶をゆったりと啜りながら、父親が尋ねた。
 明日出発すると告げると、隣に座っていた香穂子が「ええっ?」と声を上げた。

「明日行っちゃうの?」

「ああ、今回はご挨拶だけと思って来たんだ。スタジオでの収録が始まるから、準備もあるし」

 そうなんだ、とがっくり肩を落とす。

「高校に行ってみようと思ってたんだけどな」

「また今度にしよう。機会はいつでもある」

「そうだね」


「月森くん」

 父親が静かに言った。

「君は、娘に何を求める?」

「・・・求めるものなどありません」

 空気がしん、と静まり返った。

「ただ、傍にいてくれたら、それだけで」

「それでは娘じゃなくてもいいだろう?」

 からかうように笑いながら言うその目は、何かを探るように感じられた。少なくとも、俺には。

「物心ついた時には既にヴァイオリンを手にしていました。何故自分がヴァイオリンを弾きたいのかもわからないほど幼い頃でした。それからは毎日毎日 弾き続けて・・・気付けば、楽譜通りにしか弾けず、技術だけが突出してしまっていました。高校の学内コンクールへの出場を事前告知された時は、自分の地位 を確立しなければならないと思っていました。このコンクールで俺の評価が決まると」

 香穂子が心配そうに俺を見ている。
 それに少し微笑んで、言葉を継いだ。

「でも、彼女に会ってから変わったんです。例えば、今日も天気がいいねと喜んでは、それを音楽で表現しようとするんです。俺にはそれができなかった」

 自分のことを「俺」と言ってしまっている非礼にさえ気付かなかった。

「彼女と・・・香穂子さんと一緒にいると、心が安らぐんです。彼女が俺の傍にいてさえくれたら、他には何もいりません」


「もしも」

 父親がそこで一旦言葉を区切った。
 じっと俺を見る。

「香穂子とヴァイオリン、どちらかを選べと言われたら・・・」

「お父さん!」

 香穂子が止めようとするが、父親は構わずに話し続けた。

「君は、どちらを選ぶ?」

 痛い言葉だった。
 空白の4年間のことを、香穂子から聞いているのかもしれない。
 ヴァイオリンを選んで留学した俺への。
 父親なりの怒りなのかもしれなかった。

「ヴァイオリンは、俺の体の一部とも言っていい。そう思っています。その体の一部と彼女とを比べるなどできません」

「それでは、ヴァイオリンと取る、と?」

 俺は静かに首を振った。

「これから、自分はヴァイオリンを糧として生きていかなければなりません。そのヴァイオリンの糧となるのは、香穂子さんなんです。彼女がいなければ、俺の音楽など無機質になってしまう」

 そう。
 香穂子に出会う前の俺のように。
 楽譜通りにしか弾けなくなってしまうんだ。

「彼女は、俺の音楽を豊かにしてくれます。そうして得た音楽を糧として、俺はヴァイオリンを弾くことができるんです」

「しかし君は実際にヴァイオリンを選んだな」

「あの時の自分の選択を、間違っていたとは思っていません」

 父親が目を見張った。

「プロとしてやっていくために・・・彼女と共にある為に、一時の別離を選びました。けれどあの頃の俺はとても臆病で・・・香穂子さんに待っていてほしいと言えなかった」

 待つ辛さに彼女が壊れてしまうのではないか。
 そう思ったら、言えなかった。

「信じていなかったわけではないんです。待っていて欲しいと言うことで、縛り付けたくなかった。彼女の音楽をもがんじがらめにしてしまいそうで、・・・怖かったんです」

「また置いていくなんてことは、しないだろうね」

「勿論です。待っていてくれた分・・・彼女を傷つけ続けていた分、それ以上に」

 父親の目を見据えた。

「俺の全てで、香穂子さんを守ります。・・・たとえヴァイオリンを失ったとしても」


 沈黙。
 けれどその静けさは重苦しくなかった。


「月森くん」

 静かに、静かに。
 父親が言った。

「娘を・・・よろしくお願いします」

 香穂子の小さな嗚咽だけが聞こえていた。






 結婚式を終えてウィーンへと向かう飛行機の中で、香穂子が言った。

「ヴァイオリンを失わせるくらいなら、私がいなくなったほうがいい」

 突然の言葉に、俺は何のことだかわからなかった。

「お父さんに、言ったでしょ?」

「・・・ああ」

 ヴァイオリンを失ったとしても、俺の全てで君を守ると。
 確かにそう言った。それは今でも変わっていない。

「どちらかを選ばなければならなくなったら」

 香穂子が俺の手を握った。

「ヴァイオリンを選んでね」

 揺るがない瞳がその意思の強さを物語っている。

「・・・俺は」

 その瞳を見つめながら、手を握り返した。
 暖かい、香穂子の掌。
 これから一生、この暖かさを守る。
 守って、みせる。

「両方選ぶ。ヴァイオリンも、君も」

 その手の甲に唇を落とすと、ぴくっと震えた。

「・・・欲張り」

 恥ずかしさを隠す為だろう、そんな言葉さえ愛しい。

「俺は欲張りなんだ。君がそうさせたのだから、一生その責任は取ってもらわなくては」

 もう一度口付けると、今度こそ顔を赤らめて・・・耳まで真っ赤だ・・・「もう!」と顔を背けてしまう。
 どうやってこちらを向いてもらおうか、俺はしばし思案に暮れてみるのだった。











ヒトリゴト。

夜寝る前に唐突に振ってきたネタ。

結婚の挨拶の時に言わせたかったっていう、それだけなんですが。

前半、月森氏が情けないですな(笑

ヘタレな月森って結構好きだったり。・・・私だけか?!


2010.6.29UP