| 音による破壊 |
あれはまるで。
「ブレイカー。だな」
「ブレーカー?」
電気のじゃないぞと本気で言っているのか冗談なのかわからないような口調でのんびりと煙草を燻らせた音楽教師が、ちらりと隣にいる男子生徒を見やる。
煙草の煙に顔をしかめると「お、すまん」と携帯灰皿を取り出して、目の前でもみ消した。
「お前さんのようにクイーンズイングリッシュなんぞ俺にはできんのでね」
発音が悪くてすまんなと子供のように口だけは拗ねてみる。・・・そんなことに釣られる月森ではない。
「ブレイカー。英語で言う『Breaker』。破壊者」
ちゃんと発音ができているじゃないかという突っ込みは受け付けない。綺麗さっぱり聞き流された。
「どういう意味でしょうか?」
「まんまだよ、月森。音をぶっ壊してる」
「ああ・・・」
「聞くに耐えない、んだが・・・」
何故か気になる。
またポケットから煙草を取り出そうとして白い視線に気付き、その指先をくるりと回してだらんと下げた。
「お前さんの音も、あんな風に壊れてみたら新境地が開けるかもしれないぜ?」
「・・・仮にも教師が言う言葉には思えませんが」
あははと声を立てて笑った金澤は「まあ頑張れや」と肩をぽんと叩き、その場を後にする。
「ああ、月森」
ヴァイオリンケースに手をかけていた月森が、芝生の上に片膝をついたまま振り返った。
にやりと金澤が笑っている。
「一瞬にして破壊された気分はどうだ?」
「は?」
まあお前さんの場合は一瞬でもないかとか何とか訳のわからないことを呟きながら歩いて行ってしまった。
一瞬にして破壊された気分はどうだ?
確かに金澤はそう言った。
月森はその意味がわからずに広い森の広場の片隅で座ったまま考え込む。
何気なく見た先には。
(・・・日野)
ある日突然初心者にも程がある(事実初心者なのだが)音色に戻ってしまった。
会話の流れから、香穂子によって自分の何かが一瞬にして壊された、と言いたいらしいことはわかる。
けれど、何が?
「・・・だよねー」
背後から数人の生徒たちがやってくる気配がした。
「月森くんも、あんな人に影響受けるなんてね」
「なんで日野さんなんだろね」
「でもさ、前の月森くんの音も綺麗だったけど、今の音もいいな」
うん確かに。音が柔らかくなったよね、などと言いながら月森の少し先を通り過ぎていく。背を向けている月森には気付かないまま。
(俺が、誰から影響を受けて音が変わったと?)
自分は何も変わっていない。
・・・否。
そう思っているのは自分だけなのかもしれない、と思ったら、何故か怖くなった。
頑なに自分だけは何にも影響されず、自分の目指す道を脇目も振らずに駆け上ってきたつもりだった。
けれど、周りはそう捉えていないのだとしたら。
自分は、今、何を見上げていたらいいのだろう。
何を、したらいいのだろう。
(・・・こわい)
子どものような声が聞こえた。
いつか聞いたことのある、幼い声。
誰もいない、広すぎる部屋で一人眠ることに、時折無性に寂しさを感じていたあの頃の自分の声が。
こわい、と叫ぶ。
(こわい。だから守らなきゃ)
怖いと。寂しいと。吐き出せない気持ちを溜め込んで。
その、いつかの自分が。
自分の心を守るために築き上げた砂上の檻。
必死で掻き集めた、指先からさらさらと零れ落ちる脆い砂の、心の檻を。
「・・・破壊した?」
思わず一人ごちて、慌てて周囲を見渡した。・・・誰もいない。
片膝のままだったことに気がついて、ひとつ咳払いをして立ち上がった。・・・どうせこんな感情を乗せた音楽など欲しくはない。
立ち去ろうとして、また知らず視線が何かを探して泳ぐ。
「・・・日野・・・」
今回の学内コンクールで異例の普通科からの参加者として注目されているが、何よりも「コンクール以前はヴァイオリンにすら触ったことがないほどの初心者だった」という噂が先行して、毎日とにかく彼女の話を聞かない日はない。それがいいものであろうと、なかろうと。
回を重ねるにつれ、それなりに聴けるようにはなってきた矢先に、突然ヴァイオリンを変えたらしいという噂を耳にした。
確かに以前に比べて遥かに耳にしたくない音程であったし技術でもあったが。
(何故だろう)
こうして視線が探してしまうのだ。
全く自分の意図する行動ではない。気付けば勝手に視線が「何か」を探している。
彼女の奏でる音が。
彼女自身が。
・・・気に、なるのだ。
「・・・!」
口元に手を当てて、微かに頬を染めた。
自分は今、何を考えた?
(日野のことが、気になる、だって?)
そう思ってしまえば、月森の脳裏を掠めていくのは香穂子の笑顔や、くるくる変わる表情。その声。仕草。
いつだって真っ直ぐに自分を見上げる、その視線。
「・・・まさか」
足早に歩き出した。とにかく香穂子の音色が聴こえる所にいたくなかった。
音色が突然変わった香穂子の事を、金澤は「破壊者」と言った。
聞くに耐えない音色であるのに、何故「もっと」と欲するのか。
その音を聴いた自分の音色が「変わった」と評されなければならないのか。
何故「自分は彼女のことを気にしている」のだろうか。
(・・・理解、したく・・・ない)
今は何も考えたくない。
あの、怖くて仕方のなかった自分だけが閉じこもることのできる砂の上の檻に、帰りたかった。
これ以上、香穂子の奏でる音で、自分が守り続けてきた儚い壁を、壊されたくなかった。
ヒトリゴト。(ブログより
逃げるあたりがダメダメなんだよ月森氏!
自分の気持ちに本当はどこかで気付いていて、でもそれを認めることが怖くて逃げ帰るの図、です。
なんか久々にすっきりした気がする。・・・あくまで「私の中で」という但し書きがつきますが。こういう、ちょっと抽象的?な感じのほうが書きやすいです。
2010.11.19UP