音の癒し

 




「あのイルカ、元気になって良かったね」

「ああ、そうだな」

 ばったり出会った月森にくっついて来た水族館。
 元気のないイルカを月森のヴァイオリンで元気にしてほしいと、両親を通じて打診が来たと道すがら教えてくれた。
 いつもなら断る話なのだが。

(どうしてだろう)

 この話を何の考えもなく受けた。結果的にこうしてイルカが元気になったことを考えれば、受けて良かったとも思う。
 けれど、それだけじゃなくて。

「日野。ありがとう」

「へっ?」

 きょとんと目を丸くして見上げる香穂子に小さく吹き出して「・・・間抜けな顔でごめんなさいね」と頬を膨らませた。

「いや、馬鹿にしたわけじゃない。笑ってすまなかった」

「・・・じゃあお詫び、してくれる?」

 今度は月森が目を丸くする番だった。





 水族館の少し広いスペースで、ヴァイオリンを取り出す。

「本当にここでやるのか?」

「とか言いつつ、ちゃんとヴァイオリン出したじゃない」

「・・・・・・」

「ごめんごめん、からかって」

 音響も何もない、ただ広いスペースは音がこもる。月森が反対したのに、それでも何か弾いて欲しいというのが「お詫びリクエスト」だった。
 スケールを弾いてみて、音響を確認してみる。案の定というか、残響がかなりひどい。

「ここで弾いてもあまりいい音楽にならないと思うが」

 最後のダメモトで言ってみた。

「優しいのがいいな」

 月森の言葉など聞いていないのか、自分の希望だけを口にして、壁に寄りかかって目を閉じた。
 一つため息をついて。
 弓を下ろした。





 あまり派手な曲は音の余韻が汚くなるし、香穂子からのリクエストもあって、選んだのは。

「・・・・・・?」

 香穂子の知らない曲。どこか物悲しい、けれど懐かしさを感じさせる。

「綺麗な曲・・・」

 音がずっと残ることで、演奏にあまり集中できない月森が、ふと周りを見渡した。

(魚が・・・)

 水槽を通して伝わるのだろうか、魚たちが集まってただ静かに月森の音楽を聴いているように見えた。
 この魚たちも、先ほどのイルカのように元気をなくしていたのだろうか。
 自分の奏でる音楽で、魚を元気付けてあげられているのだろうか。
 目を閉じている香穂子には、魚たちが見えていない。どうにかして、今のこの魚たちを見せてやりたかった。

「・・・日野」

 小さく自分を呼ぶ声が聞こえた気がして、うっすらと目を開ける。
 その先にいた月森がふわっと微笑んだ。

(うわ・・・)

「魚が・・・」

 言われて辺りを見回すと、魚たちが集まってそこから動かない光景だった。

「あらまあ・・・」

 飼育員なのだろう、作業服姿で現れた女性も立ち止まり、しばし見入る。

「なんていう曲かしら」

「すみません、終わったら聞いてみます」

 香穂子の傍に寄ってきた女性が「ううん、いいわ」と首を振った。

「曲名はわからないけれど、とてもいい曲ね。懐かしい・・・」

 少し聞き入ると「仕事があるから」と立ち去っていった。





「魚も癒されたいのかなあ?」

「おそらく音そのものではなく、振動が伝わっているんだろう」

 空気を震わせて水槽にぶつかった振動が水に伝わって、それが魚にとっては心地いいものだんだろうと月森は言う。

「耳があれば、こんなに綺麗な月森くんの音楽が聴けるのにね」

「・・・・・・」

 月森が真っ赤になって口元に手を当てた。
 何度聞いても慣れることのない、香穂子の飾りのない賛辞。
 純粋にそう思っていることがわかるから、どう受け止めていいのかがわからない。

「ところで、月森くん」

「何か?」

 帰りのバスを待ちながら、香穂子が口を開いた。

「月森くんは、癒された?」

「え?」

「イルカとお魚たちに演奏して、向こうは癒されたかもしれないけど、演奏してるほうはどうなのかなと思って」

「・・・君の考えていることは、よくわからない」

 よく言われるよとカラカラ笑い「で、どうだった?」と再度問うた。

「そうだな・・・水のある所は好きだ。水が陽の光を浴びて揺らめくのを見ると、落ち着く」

 ふうん、と意外そうに見上げた香穂子を見下ろす。

「何故だ?」

「いつも思うんだ。月森くん、癒されたいって思うことはあるのかなあって」

「癒されたい?」

 うん、と香穂子が頷いた。

「私で良ければいつでもヴァイオリン弾いてあげるからね!」

 言いたいことがいまいち掴めないのだが、つまりは月森が癒されたい時に、香穂子がヴァイオリンで癒してあげる、と言いたいのだろうと見当をつけた。

「いや。・・・ああ、そうだな」

 いったん否定しかけて思い直す。・・・彼女のヴァイオリンに浸るのも、悪くはない。

「じゃあ早速いいだろうか」

「ええっ?い、今?」

 もうすぐバス来るよと慌てる香穂子に小さく吹き出して「滞在先に戻ってからでいい」と告げた。
 
「君に、癒してもらうのも悪くはない」
 
 拙い音楽だけれど。
 月森が求める音色がそこにあるから。
 彼女が奏でる音で癒される。
 楽しみができたと小さく微笑んだ。












ヒトリゴト。(ブログより

アニメのオマケ話から。
館内で月森が弾いたのは「だったん人の踊り」です。カノンにしようかアヴェ・マリアにしようか迷ったんですが。
 

2010.11.20UP