音も無く忍び寄る

 




 最初は、気にも留めなかった。
 コンクールで同じ出場者、程度の認識しかなかった。
 それが。





「・・・こうなるとは・・・」

 思わず考えていた事を口に出してしまい、香穂子が聞きとがめて「えー?なあに、月森くん?」と振り返った。
 何でもない、と返事をすると「・・・そう?」とまたウィンドウをのぞきこむ。
 コンクールが終わるまでの短い間に、十数年培ってきた「月森蓮」という自分を変えた少女。
 自覚すらないのだろう目の前にいる彼女への想いを自覚したのはいつだっただろうか。

 寄ってくる人間は、大抵月森自身を見てはいない。
 その後ろにある「家」を多分に意識して話しかけられるのが見え見えで、そんな人間たちが疎ましかった。
 月森の存在すら知らなかったという香穂子は、浜井美沙という名前も知らなかった。だからこそ、香穂子は自分自身を素直に見てくれたのだろうと思う。そう わかっているつもりでも、十数年かけて形成されたこの性格を直せるわけでもなく(当時は直すつもりも更々なかった)、「月森くん!」と話しかける香穂子の 存在は、「邪魔なもの」でしかなかった。
 なのに。
 事あるごとに月森の視界に香穂子の姿が映る。それが意図せず、無意識に自分から香穂子を見るようになっていた。・・・そう、あれは・・・

「ヴァイオリンの音色が変わった頃だったな」

「うん?」

 いや、なんでもない、と言うと「独り言多いの、オジサンみたいだよ」としれっと舌を出した。十七歳でオジサン呼ばわりされたくないから、仕返しで頬にキスをしてやった。真っ赤になった香穂子に「前言撤回するか?」と笑うと「・・・そういうところがオジサンっぽいの!」と悔し紛れにそっぽを向かれてしまった。

 香穂子に対して、自分は何か特別な感情を抱いているらしいと気付いたのはちょうどその頃。
 それがどういう気持ちなのかがわからなくて、香穂子に八つ当たりのような事をしてしまってからだ。
 音もなく忍び寄る恋心を、そう簡単に認めたくなかった。自分が変わってしまう恐怖と、憧れ。
 自問自答し続けて、結局、今こうして彼女の隣にいる。



「香穂子」

 今度は独り言じゃないねと笑いながら振り向いた香穂子の手を取る。
 硬くなってきた指先を、いとおしげになぞる。それでも女性らしい、柔らかな手。

「君が、好きだよ」

 たまらない気持ちを、指先に込めて。ちゅ、と音を立てて口付けた。



 願わくば。
 この気持ちが限りある永遠の中に途切れることなく続いていくことを。
 そんな小さな月森の願いを込めた口付けを、香穂子の指先に託して。

 

2010.11.13UP