| 添い寝 |
香穂子から体調を崩したから休む、とメールが送られてきた。一日寝ていれば大丈夫、ということだったから俺もさして心配には思わなかったが、放課後にお邪魔することにした。香穂子は「もう大丈夫だから」としきりに言ったけれど。
「君の顔を見たかった、では駄目だろうか」
「…そういうことをさらっと言える人だって知らなかったよ…」
ベッドの中で顔を半分布団に隠したまま、香穂子が呟く。そういうこととはどういうことだろうかとも思ったが聞かなかった。
「もう大丈夫だから。でも、来てくれてありがとう」
「いや、元気になったのならいいんだ。アンサンブルの練習もだいぶ順調になってきた矢先だったから、君がストレスになっているんじゃないかと思って少し心配した」
「んー、まあ…それもなくはない、かな。でも皆助けてくれるから」
「ならいいんだが」
まだ赤みの残る頬が熱の高さを思わせて少し苦しそうだ。
あまり長いこといても良くないだろうと立ち上がる。
「香穂子。俺はそろそろ」
「あ、月森くん」
カバンを手にした所で香穂子が呼び止めた。
「? どうした?」
呼び止めたはいいが、香穂子も何故俺を呼んだのかわからないと言いたげに目を丸くしている。
「…あの、その…えっと、……あのね」
「君が眠るまで」
「え?」
「…君が眠るまで、傍にいても構わないか?」
「え、……いいの?」
「ああ」
嬉しそうに香穂子の顔が破顔した。そんな顔を見るともっと傍にいたいと思ってしまう自分を、今はすんなりと受け入れられていることが不思議なようでもあるし、当然のような気もする。
「不思議だな」
「何が?」
繋いだ手は熱のせいかいつもより熱い。けれどしっかりと握って、香穂子を見下ろす。
「変わることをあんなにも恐れていたのに、いざこうして君の傍にいるとなると、それを当たり前のように思っている自分がいる。俺はそれをどう受け止めていいのかわからない」
「自然でいいんだと思うよ」
「自然?」
うん、と香穂子が頷く。熱のせいか目が潤んでいて、それが…
「自然に思ったほうを受け入れればいいんじゃないかな。私はこうしてるのすごく安心するし、好きだけど。でも月森くんが無理してるんな………」
無理だとか。
無理じゃないとか。
そうじゃないんだ。
ただ、君と一緒にいられる幸せを、今の俺はどうやって君に伝えられるだろうか。
そう言いたいのに。
「……ん……」
気付けば、香穂子の唇に自分のそれを重ねていた。
この唇は、いつもいつも言いたいことを紡ぎだせない。
だから俺はこうすることでしか君に気持ちを伝える術を知らないんだ。
それは時にとてももどかしい。
「…は、……つきもり、く……」
潤んだ瞳。
赤い頬。
ぎゅ、と力なく繋いだ手。
小さく俺を呼ぶ、その声。
「…香穂子…」
熱を出しているのだからこれ以上はまずいと心の片隅でブレーキをかけようとしているのに、止めることができない。何かの箍が外れそうな、不安定な心持がする。
「…き、も…り……」
かくん、と。
香穂子の身体から力が抜けた。
起き上がって見下ろすと。
「…眠ってしまったのか…?」
すうすうと、気持ちよさそうな寝息を立てて、眠っているのだった。
「…………はあ」
何をやってるんだ、俺は。
病人に、…あんなこと。
「すまなかった、香穂子」
君が眠るまで手を繋いでいるだけのつもりだったのに。
自分の理性がここまで脆いとは思わなかった。
それも君の隣にいるようになってから気づいたこと。
「…おやすみ、香穂子」
明日にはきっといつもの元気な君に戻っているんだろう。
「…香穂子?」
ぎゅ、と繋いだ手。寝ているはずなのに、離そうとしない。
「ん、…つきもりくん……」
呟きながら、更に力を込めるから。
「離れないんだが…」
これは困った。
そろそろ失礼しなくては、ご家族にも迷惑がかかる。
俺も家に帰ってヴァイオリンの練習をしたいのに。
「香穂子。離してくれないか」
「やぁだー」
寝言のような不鮮明な発音だが、ちゃんと聞こえてはいるらしい。
「香穂子?」
「やー…傍に、いて…」
言うなり深い寝息を立て始めた。どんなに呼んでも返事もない。
「香、穂、子」
「ん~…」
こうなってしまえば仕方ない。
もうしばらくすれば手を離してくれるだろうと諦めて、ベッドの縁に座る。
手持ち無沙汰になってしまったから、カバンから楽譜を取り出した。
「月森くん、お夕飯うちで食べ…」
香穂子の母親が軽く開いたドア(月森が来るといつも少し開いたままにしているのが好ましいと密かに思っていたりする)を開きかけて「あら、まあ」と目をまん丸く見開いた。
「一緒に寝ちゃったの。あらあら、…あらまあ」
手を繋いで。
香穂子に添い寝するように寄り添って眠る月森の寝顔をまじまじと眺め、音を立てないようにそうっと部屋のドアを閉じた。
「疲れてるのね。もう少し寝かせてあげましょう」
いいもの見ちゃったし、などと母親がルンルン気分で階下に下りて行ったことを、二人は知る由もない。
2012.2.28UP