飽くなき飢餓感

 




「はっきり言って、それ欲求不満なんじゃないの?」

「・・・欲求・・・不満」

 呆然と鸚鵡返しに繰り返された自分の台詞に、そうそう、と頷いて。
 加地が月森を見た。

「ま、僕が口出しできるのはそこまでだけど」

 じゃあねと肩をぽんと叩き、加地が立ち上がった。

「飽くなき飢餓感。・・・ね」

 とよくわからない言葉を残して。





 事の発端は何だっただろうかと思い出してみる。
 確か、香穂子が加地に「月森くんが私を見てくれない」と相談したことから始まったんだった。
 屋上で珍しく何もしないで座っていた月森に、加地が「悩み事?」と話しかけてきて。
 それで「香穂子の目を見て話せない」ということを話したのだ。顔を見るとよくわからない苛立ちや焦燥感や、とにかく胸がむかむかすると。
 そうして返ってきたのが「欲求不満」という単語だったのだ。

 つまりは、・・・そういうことなんだろうか。
 その言葉の意味を、月森だって知らないわけではない。が。

「そう・・・なんだろうか」

 今日は一緒に帰れない、と先ほど香穂子からメールが来ていたし、練習室がいっぱいだったから午後の授業が終わってすぐに学校を出た。
 金曜の帰り道に、休みの日に何をするか相談するのが常なのだが、それもない。
 次の週末は家で過ごすことになりそうだった。

「どうすれば・・・」
 自宅までの数十分。
 答えは見つからなかった。





「・・・?」

 家の前に誰かがいる。

「・・・香穂子?」

 門扉に寄りかかって、香穂子が立っていた。

 「どうした?」

「・・・やっぱり・・・」
 微妙にずらされた視線。それが何よりも香穂子の不安を煽る。

「月森くん。・・・話が、あるの」

 思いつめた瞳に、月森が小さく頷いた。

「・・・こちらへ」

 門扉のキイイという音が静かに響いた。






「先に部屋に行っていてもらえるだろうか。何か飲み物でも持って行くから」

「ううん。すぐに帰るから」

「・・・そうか」

 重苦しい空気が二人を包む。
 後で祖母が帰ってくる予定がある。ここにいては話もできないからと、自室へ向かう。

「どうぞ」

 いつものやり取りなのに、どこかよそよそしい感じがするのは、お互いに何か思う所があるからだろうか。
 月森の母が香穂子のために買ってくれたローテーブルと座椅子。そこだけが香穂子の空気を纏っていて、月森の部屋の内装から少し浮いている。
 座椅子に座らず、月森のベッドに腰掛けた。
 ジャケットを脱ぎ、タイも外す。シャツのボタンを二つ外した所で、月森が振り返った。

「話とは、何だろうか」

 微妙にずれた視線。香穂子の顔を見ているが、目を見ない。
 それが香穂子を不安にさせていることに月森は気付かない。

「・・・私、何か・・・した?」

「え?」

「最近、月森くん、私の目を見てくれなくなったね」

「そんなことは・・・」

 ない、と言いかけたところで、香穂子が立ち上がった。

「そんなことないなんてことないでしょ?!何かあったなら言ってくれなきゃわかんないよ!」

 不安そうに涙を溜めて。
 月森の表情一つ見逃さないとでも言うように、凝視するその視線に。
 そこにはない感情を求めてしまう。




「・・・不安にさせていたのは、すまなかった。俺の配慮が欠けていて・・・君にいらぬ心配をさせてしまったな」

 香穂子はまだじっと月森を見つめている。
 ようやくその視線を真っ向から返すと、ほんの少し安堵する表情を見せた。
 そんなにも、不安にさせていたとは。

「君といると、心が安らぐ思いがする。それはいつであろうと本当なんだ。でも、・・・それだけじゃない」

「どういう、こと?」

 自分の中に渦巻く感情の名前を、加地に教えてもらった。
 けれど容易く口にすることが憚られる。

「俺は、その・・・欲求不満、らしい」

「は?!」

 勇気を出して口にしてみれば、素っ頓狂な返事が返ってきた。

「加地から、君から相談されたと話があった。それで、俺が今思うことをそのまま言ってみたんだが・・・」

「それで、欲求不満て言われたの?」

 ああ、と月森が頷く。

「しかし、自分ではよくわからなくて・・・」

 考えれば考えるほど、終わりのない螺旋にはまっていくようで。

「じゃあその、加地くんに言った『思うこと』、私にも言って?」

「え?」

「一緒に考えようよ。二人のことなんだから、二人で考えよう?」

 ああ、それがいいかもしれない。
 月森が静かに歩み寄って、香穂子の隣に座る。





 最初はただ、チクチクしたような、小さな苛立ちだった。
 それをどうにかしてやり込めたはずなのに、今度は焦りが生まれて。
 しかしそれは、香穂子に触れると霧散していくのだ。
 そのことに気付いてしまうと、その焦燥感をなくしたくて香穂子に触れようとしてしまう。

「・・・けれど、一度触れたら、際限がなくなりそうで・・・怖かった」

 そう思っていることを、香穂子と目を合わせたら悟られそうで、合わせられなかった。
 一度外してしまった視線を元に戻すことが難しくなってきて、香穂子が何かを言いたげに自分を見上げることに気がついていても、知らないフリしかできなかった。
 でもそれが不安にさせていたことを、月森は知らなかった。

「すまなかった。不安にさせて」

「ううん、いいんだ、もう。月森くんが話してくれたから」

 ああ、と頷いた月森の表情が、少し和らいだ。




「ということは」

 香穂子が明るい声で、人差し指をぴっと立てた。

「その欲求不満を解決すればいいの?」

「・・・!」

 あっさり、事も無げに言うが・・・月森の言いたいことがわかっているのだろうか。

「え、手を繋いでたら大丈夫なんでしょ?」

 月森が盛大なため息をついてがっくりと肩を落した。

「え、あれ?違うの?」

「・・・違わない、が・・・違う」

 敢えて下から見上げるように、顔を近づけた。

「君に触れるとは・・・こういうことだ」

 幸い自分たちはベッドの上だ。スプリングが柔らかく二人を受け止めてくれる。

「え?えっ!・・・ええっ?!」

「いいだろうか」

 ちょっと待ってと起き上がろうとする香穂子の肩を押さえると、あっさりとベッドへ逆戻り。

「そういうこと?!」

「だから、そういうことだと言っている」

 にべもなく返すと、その冷たい手を香穂子の制服の中へと滑らせる。ぅひゃ、と可愛げのない声が上がった。

「ちょっ、・・・待っ」

「待たない」

 きっと香穂子は拒まない。
 そう確信しているから、多少強引な態度にも出られるのだ。





 祖母が帰ってくるから、これ以上はだめだと頭のどこかで警鐘が鳴るのに、それを制御できるだけの理性がない。
 二つの荒い呼吸が部屋を満たし、同時に月森の指先も優しくなっていく。
 何度求めても、足りない。
 少し触れただけで反応する香穂子の肌を、どれだけ堪能しても、満足できない。
 もっと。もっと満たされたい。
 飢えた子どものように、何度も肌を重ねる。
 
「飽くなき飢餓感」

 と言い残した加地の言葉の意味が、何度目かの到達点でようやくわかった気がした。









ヒトリゴト。(ブログより

話の流れ上、香穂子さんが天然です。こんな天然じゃなかったハズだけど・・・

この辺までなら地下室行きじゃなくてもいけるかなあ?ということで。ダメなら地下室に移動します。

 

 

2010.11.27UP