声が枯れるまで

 




 放課後。

 練習室へと急ぐ香穂子を後ろから呼び止める声がした。

「日野さん」

 こういう時に限って嫌な予感は的中するもので、案の定、音楽科の制服を着た女子生徒が3人ほど。

「ちょっとこちらへ来てくれる?」

 タイの色は赤。・・・今日は同学年か。

 香穂子はややうんざりとしたため息を小さく零し、手招きされたほうへ向かう。

 こういうときは逃げてもムダだと学習している。

 逃げれば執拗に追ってくるか、後から何度も何度もしつこく呼ばれるからだ。

 この人たちもよく飽きないものだと思う。こんなことしてる時間があるなら練習すればいいのにとよっぽど思うが口には出さない。

「あなた、未だに月森くんにつきまとってるみたいだけど」

「いい加減、目障りなの」

「月森くんの周りをうろちょろするの、やめてくれない?」

「・・・・・・」

 何を言い返してもムダだということも知っている。時々我慢できなくてこちらも言い返してしまうけれど。

「黙ってないで何か言いなさいよ」

「それとも、何?月森くんをかばおうとかしてるわけ?」

 あなたなんかにかばわれなくたって、月森くんは何とも思わないわよ。

 真ん中にいた、3人の中では主格らしい女子生徒が言い放つ。

「むしろあなたがいなくなったほうが、清々するんじゃないの?貴重な練習時間をあなたの為に割くなんて、彼がかわいそうだと思わない?」

「付き合ってるなんて噂もあるけど、ポッと出の普通科のど素人が、よりにもよって月森くんと付き合うだなんて身の程を知りなさいよ」

 香穂子の中で、何かが音を立てて切れた。


「言っておくけど」

 前髪のせいで香穂子の表情は読み取れない。が、声音から怒りの感情が見て取れる。

 それでも余裕の表情で女子生徒たちは腕を組んでいた。

「月 森くんをかばおうとか思ってないし、私が月森くんの前から消えるときは、月森くんが私を嫌いになった時以外あり得ない。それに月森くんから一緒 に練習しようって言ってくれたの。そうすることでお互いに得るものが多いだろうからってね。一緒に練習しないでって月森くんに直接言ってくれる?」

 ああ、と香穂子が何かを思い出すようにわざと素っ頓狂な声を出した。

「身の程は、私が一番よくわかってますから。でも、私は月森くんの『家』のことなんて知らない」

 女子生徒たちの顔がかっと赤らんだ。

「ネームバリューがそんなに大事?そんな後ろ盾がないと聴いてもらえない音楽なの、月森くんの音楽は?」

「日野さん・・・」

 ギリギリと歯軋りしそうな勢いで怒りを露わにする女子生徒たちに、最後通牒をつきつける。

「全部本当のことだと思うけど」

 時間がもったいないから。

 そう言い捨てて、香穂子は輪の中から抜け出した。・・・追ってはこない。

 小走りでそこを後にする。

 少しでも早く、月森の待つ練習室へとたどり着きたかった。


 コンコンとドアがノックされるのと、開くのがほぼ同時。

 そんな忙しない開け方をしないから、月森が驚いて振り返った。そして更に驚く。

「どうしたんだ、香穂子。何故泣いている?」

「・・・泣いてない」

 ごしごしと目をこすって月森に止められた。

「目が赤くなってしまう」

 ハンカチを取り出して、目元を押さえる。香穂子は黙ってされるがままになっていた。

 ピアノの椅子に座らせて、飲食禁止だがこの際は仕方ないと飲みかけのペットボトルを渡す。ありがとうと素直に受け取った香穂子が一口飲むのを待ってから、月森が口を開いた。

「それで?」

 その質問の意図するところがわかっているから、だんまりを決め込む。

「香穂子」

 珍しく白状しないということは、自分絡みなんだなと気がついて。

 小さく嘆息する。

「俺のことで何か言われたんだな」

 ぶわっと香穂子の瞳から涙が溢れ出た。

 やっぱりなと苦笑して「笑い事じゃないよ!」と怒られたが気にしない。

「また何か言われたんだな?・・・俺のことはいい、言われ慣れている。しかし君の事を悪く言われるのは俺が許せない」

「月森くんのことを悪く言われたりするのは私が嫌なの!」

「・・・お互い様だな」

 ふっと笑って、それまでしゃがんでいた月森が立ち上がる。

 ペットボトルを握り締めて俯く香穂子を、そうっと腕の中に閉じ込めた。

「俺は君が好きだ。誰に何を言われようと。俺は俺の意思で、君とこうして過ごしているんだ。君はそれを信じていてくれるんだろう?」

 こくん、と黙って頷く。

「それでいいだろう。俺たちがわかっていれば」

「でも」

「いいんだ、香穂子。万人に理解されなくても、知っている人が知っていれば、それでいい」

 コンクールメンバーや、お互いの近しい友人たち。

 そういった、二人をよく知っている人たちが二人のことをわかっていてくれたら。

 それだけでいいと月森は言う。

「しかし、君のことを悪く言うのは許せないな」

「月森くんのことを悪く言われるのだって嫌だよ」

 そうかと言えば、そうだよと返ってきて。

 二人で顔を見合わせて、小さく吹き出した。


「香穂子」

 少し冷たい手が香穂子の髪を撫でる。

「君が我慢することはない。いつだって吐き出していいんだ。俺の為に言わないなんてことはしないでくれ。・・・何もかも、君と一緒に分け合いたいから」

 痛みや、苦しさや、悲しみも、全て。

 お互いに半分ずつ背負っていれば、少しは楽になれるだろう。

 負の感情を一人で背負うことほど重いものはない。

「だから、香穂子」

 泣いていい。

 髪を撫でながら、あやすように。

 囁かれたその言葉に、香穂子の涙腺がとうとう崩壊する。


「そうだ、泣いていいんだ。声が枯れるまで泣いて、そうしてまた始めればいい」

 その出発点はきっと新しい。

 時折漏れる香穂子の嗚咽にとんとんとあやすように背中をさすりながら、月森がまた囁いた。


「君が好きだよ、香穂子」










ヒトリゴト。(ブログより



回避できた!

そっち系じゃないお話を1つは書こうと思っていたのと、声が枯れるまで、の後に続く動詞を考えていたらこうなりました。続くのは「泣く」。

そう思ったらすんなりネタ降臨。割とサクサク書けました。

2010.10.7UP