| 逃がさない |
明日は会えない。
あらかじめそう言われていたからわかってはいたものの、香穂子がいない休日は、時間の流れが遅い。
「まだ、昼・・・」
ヴァイオリンの練習をしようと取り出したものの、気分が乗らない。
そんな中で生み出される音楽は、月森の気に入るはずもなく。
早々に片付けた。
今度は読みかけの本でも、とベッドサイドに置いてあった本と眼鏡を持ち上げた所で、元に戻した。
「出かけてみよう」
何の宛てもなくただ街を・・・とはいっても人ごみが苦手だからできるだけ静かな所だが・・・歩いてみようと思い立ち、財布と携帯と家の鍵だけ持って家を出た。
一方。
「あれ、月森くんじゃない?」
天羽と冬海、そしてなぜか加地の4人でオープンカフェにいた香穂子に、天羽が指をさした。
「天羽さん、指。・・・それにしても、珍しいね」
加地が応じると、冬海までもが「そうですね」と言い出した。
「何か用事でもあったのかな?」
「今日は家で練習するって言ってたけど・・・」
「誘えば良かったのに」
「誘ったけど、月森くん『皆で楽しんでくるといい』って言うから」
ちなみに加地がいることは言っていない。
女性たちだけで行ってきたほうが楽しいだろうという月森の配慮だったのだが。
「僕、隠れてたほうがいい?」
「隠れる必要ないでしょ、堂々としてなさいよ」
天羽に笑われて加地が「うん・・・」と大きな体を小さくすくめた。
「あ・・・」
冬海が声を上げた。
一斉に冬海の視線をたどると。
「月森」
「月森くん」
香穂子たちが見つけたその場所から、月森がこちらを見ていたのだった。
「なぜ加地も?」
不思議そうに加地を見るその視線にしどろもどろになりながら、加地が「あ、いや、その・・・」と説明を試みる。
「僕は、たまたま、ね。通りかかったら三人を見かけたものだから」
「そうか」
勝手に加地が後ろめたい思いをしているだけなのだが、しどろもどろなゆえに香穂子たち3人も何か隠しているように思われてしまうではないか。
「別に何も隠しちゃいないわよ。ただ皆でお茶してただけよ」
月森が加わることでテーブルを移動した5人は、微妙な空気の中で黙り込む。
出ようと言い出したのは誰だったか。
カフェを出ると、今まで外にいたのに夕方になっていたことに気付かなかった。
「僕たちは駅だから。ここで」
「ああ」
「あ、じゃあ駅まで・・・」
という香穂子の手首を、月森が少し強く掴んだ。
「明日、学校で」
「じゃあねー」
「さよなら、月森先輩、香穂先輩」
天羽と冬海が二人に手を振りながら背を向けた。
一番最後までこちらを見ていた加地の視線がもの言いたげで、月森は更にそれが気に食わずに力を込めた。
「月森くん、手・・・痛い」
「だめだ、香穂子」
逃げようとするその腕を掴む。今度は力をできるだけ込めないように。でも逃げられない程度に。
「逃がさない」
「え・・・」
「逃げないで、ほしい」
香穂子の視線が痛い。
言い切った自分の言葉に驚いて、目を逸らした。
でも咄嗟に出た言葉ほど本心を表す。
そう思い至ると後は何も考えられなかった。
「俺から、逃げないでくれ・・・!」
手に入れた、香穂子という存在。
自分の変化に戸惑いながらもその変化をも受け入れてくれた香穂子が。
どこかに羽ばたいて飛んでいってしまうのではないかという不安。恐れ。惑い。
そんな昏い感情を抑えられなくて、彼女の手首を掴んだ。
「逃げないよ」
どこにも行かないよ、と。
優しい、優しい声。
気付けば辺りはだいぶ薄暗くなっていた。
「私は、ずっといるよ。月森くんのそばに」
「香穂子」
「だから、月森くん。・・・私を、信じて」
私を、信じて。
繰り返された言葉に、月森の目が大きく開かれた。
この気持ちさえ受け入れてくれるというのか。
自分でさえ嫌気がさすというのに。
「すまない、香穂子・・・」
少しだけ。
そう言って、香穂子の肩に頭を乗せた。
壊れ物を扱うかのように、香穂子の手が月森の頭を撫でる。
さらりとした髪をくるくる弄んでは離し、また頭を撫でる。
「好きだよ、香穂子」
「・・・私もだよ」
大好き。
言いながら口付けられた耳元を真っ赤に染めながら、月森が微笑んだ。
2010.10.3UP