響きあう僕らの呼び声




 




 毎日毎日会えるわけじゃない。

 音楽科に身を置く月森は、レッスンが長引いたり、実技で遅くなったりするからだ。


「テスト中 練習室は一人で使ってくれ」


 といつも短いメールに嘆息しつつ、こうして知らせてくれるだけでもいいかと思い直して、ヴァイオリンケースを持ち直した。

「え、5時からなの?」

 予約ノートを見ると、5番練習室に月森の名前がある。しかし、予約の入っている5時までには、あと1時間近くある。

「うーん、どこに行こうかな・・・」

 森の広場、屋上、正門前。

 講堂と音楽室は、音楽科の生徒も多く、ただ一人普通科の制服を着て練習する香穂子には肩身が狭い。視線だけじゃなく、言葉の中傷を受けることも多々ある。

「・・・森の広場にしよ」

 なんとなくそういう気分になったから、香穂子は素早く踵を返した。





「遅くなってしまったな・・・」

 テスト中に携帯を取り出してメールするなんてことをしたのは初めてだ。

 席を外すフリをして、香穂子にメールを送った。

 返事はなかったが、わかってくれただろう。

 それにしても。

「あの先生はいらない話が多すぎる」

 薀蓄屋の年老いた先生は、何かにつけて話をしたがっていつも時間が遅くなる。

 金澤あたりに言わせると「年くって人恋しいんだろ」と笑うのだが。

 音楽に対する話ならば我慢して聞きもするが、月森にとってはどうでもいいような話ばかりなのだ。

「すまない、遅くなっ・・・」

 コンコンと軽くノックをして入室すると、そこには誰もいなかった。

 予約は5時からのはずだ。

 時計を見ると、5時を少し過ぎている。

 別な場所で練習していて、そのまま時間を忘れているのかもしれないな。

 そうして香穂子がいそうな場所を思い浮かべる。

 メールで尋ねるという方法もあるが、時間を忘れているほどだ、ヴァイオリンに夢中になっているのだろう。練習の邪魔をしたくなかった。

「屋上、正門前。・・・森の広場」

 一番確率の高そうな場所から行ってみることにした。



「あれ、月森くん。どうしたんだい?」

 屋上のドアを開けたところで、柚木が振り返った。

「香穂・・・日野を、見ませんでしたか」

「日野さん?ここには来ていないよ」

 礼を言ってドアを閉める。少し慌しく降りていく足音に、柚木が苦笑う。

「言い直さなくても、全校生徒公認なんだから、堂々と呼べばいいのに」



「あっれー、月森くん!今帰り?」

 正門前で香穂子の姿を探していると、賑やかな声が飛んできた。

 大きな声で呼ばないで欲しいと思いながら振り返る。

「火原先輩。・・・日野を、見ませんでしたか」

「香穂ちゃん?さっきヴァイオリンケース持って歩いてるの見たけど・・・」

「どこですか」

「エントランスだけど、多分違うとこにいると思うよ」

 そこで練習する雰囲気ではなかったという火原に「ありがとうございます」と小さく頭を下げて、月森が歩き出した。

「森の広場かもよー!」

 だから大きな声で言うのはやめてほしいと思いつつ、火原の言うとおりに足を向けるのだった。



 森の広場では、音楽科・普通科問わず、生徒がたくさんいる。

 コンクールで普通科の香穂子と土浦が出場したことで、お互いの壁が低くなってきたようだ。違うデザインの制服のグループやカップルが話をしたりしている。

 あの二人のおかげなのだろうなとどこか遠くで思いつつ、森の広場を歩く。

「お、月森か。練習場所探してるのか?」

 もうすぐ下校時刻だぞと猫を抱きながら、のんびりと金澤が歩いてきた。

「金澤先生。日野を、見ませんでしたか」

「おー、日野ならひょうたん池の奥のほうで練習してたぞ。なんだ、何か用事か?」

 ニヤリと笑いながら尋ねる金澤に「いえ、失礼します」とそっけなく返事をして、ひょうたん池のほうへ歩き出した。



 ひょうたん池の奥は、少し鬱蒼としていてあまり近寄る生徒はいない。

 時々チェロ弾きの後輩が昼寝をしていたりするけれど、今日はいないようだ。

 更には香穂子の姿も見当たらない。

「おかしいな・・・」

 見逃しただろうか。

 そう思って改めてよく見渡してみる。

 それでもいない。

「金澤先生が嘘をつくということは・・・」

 ちょっとした冗談でとか言いそうだな。

 ため息をついて、どうしようか思案する。


「・・・音」


 香穂子の音を探してみよう。

 彼女が弾くヴァイオリンの音色は一発で聞き分けられる自信がある。

 多数の音楽科生徒が練習している中でさえ、香穂子の音はすぐにわかる。

 月森は目を閉じて、香穂子の音を探し始めた。








 ひょうたん池の奥は意外な穴場で、練習している生徒は少ない。

 薄暗いから怖いと冬海が言ってたなと思いながら、芝生をさくさくと歩く。

 しばらくの間は練習できていたが、風がひんやりして練習に打ち込めない。

 少し日当たりのいいところに移動する。

「4時半になるところか。もう少しできるかな」

 ギリギリまでヴァイオリンを弾いていたくて、香穂子はあともう少しと弓を下ろした。


 コンクールで弾いた、アヴェ・マリア。

 何度となく弾いてきたけれど、弾く度に好きになる。

 清らかな音色は、恋人である月森を連想させる。

 森の中を透き通った水が流れていくような。

 彼が弾くアヴェ・マリアはそんな音がする。


 時間も忘れて何度も何度も弾いていた。

「さっきのとこ、もう少し違って弾いたらどうなるんだろう」

 やってみよう。

 そうして何度目かに弓を下ろす。

「・・・?」

 香穂子の音に重なるヴァイオリンの音色がある。

 数多ある音楽科の生徒たちが練習している雑音とも言えるような音の羅列の中で、たった一つ。

 香穂子に合わせて弾く音色があった。

「・・・あ・・・」

 弾きながら姿を探す。

 少し遠く、ひょうたん池の近くで、月森がヴァイオリンを弾いていた。

 目が合うと、月森がふわっと笑った。

 香穂子だけを見つめて、奏でるヴァイオリン。

 月森の笑った表情があまりにも優しくて、甘くて。

 香穂子は顔が赤くなるのをヴァイオリンに集中することでやり過ごした。


 遠巻きに、生徒たちが聴いている。

 二人のアヴェ・マリアを。

 それはまるで、お互いを求める呼び声のようで。

 ただひたすらに優しく奏でられる音楽に、その場にいた生徒たちは無言で聴き入った。


 最後の一音が、空の向こうへと消えていく。

 そっと弓を下ろした二人に、どこからともなく拍手が沸き起こる。

 月森も香穂子も恥ずかしさでいたたまれなくなり、慌しくヴァイオリンをケースにしまう。

 弓と弦をゆるめるのは少し後だ。今はこの場からいなくなりたかった。


「月森くん、ごめんね」

「何が?」

「時間、すっかり忘れてて・・・」

 正門前のベンチでケースを開けて弓と弦を緩める作業をしながら、香穂子が頭を下げた。

 ああ、と月森が小さく笑った。

「気にすることはない。元はと言えば、俺が遅くなったのだから。それに、君といいアヴェ・マリアが弾けた」

 珍しく少し嬉しそうに月森が笑う。

 きっとあちこち探したであろう月森に、再度「ホントにごめん」と頭を下げると、ポケットから何かを取り出した。

「はい、これ」

「・・・飴?」

「うん。たくさん探し回ったんでしょう?そのお詫びに、はい」

 甘いものは食べないのだが、香穂子からもらうのならば話は別・・・と言えたらいいのだが。

「すまない香穂子。甘いものは食べないんだ」

「あーそっか、そうだったね」

 うーん、じゃあ何がいいかなと首を傾げる。

 月森が、ふ、と笑って香穂子を呼んだ。

「少し、いただこう」

「・・・少し?」

 ああ、と香穂子の手にあった飴の包装を開ける。そのまま口に放り込むと、レモンの味がした。少し酸味のあるそれを。

「つきも、・・・」


 唇を離すと、顔を真っ赤にした香穂子が呆然としていた。

「飴は甘いだけじゃないんだな」

「・・・冷静に味の感想なんか言わないでっ!」

 ここ、学校!正門前!下校時刻!と騒ぐ香穂子に「もう一度しようか?」と黙らせた。

「おいしかった、ありがとう」

「・・・だから冷静にそんなこと言わないで・・・」

 恥ずかしすぎて顔を上げられない。

 そんな香穂子に、月森が笑う。

「だいぶ暗いから、遠目にはわからない」

「近くにいる人にはわかっちゃうでしょ?!」

 まあ、それはそうだなとしれっと返す唇が憎らしい。

「今度からこうして貰おう」

「・・・・・・!」

 今度こそ絶句して声も出ない香穂子に、月森が楽しそうに声を上げて笑った。








ヒトリゴト。(ブログより


「呼び合う声」を二人のヴァイオリンの音に見立ててみました。

イメージはあるんだけど、それを表現できないっていう力のなさ・・・勉強せねばですね。

 

 

 

 

2010.7.27UP