| 声にならないほどに愛しい |
クリスマスコンサートも無事に終わって、秋から毎日走り回っていたせいか気落ちしてしまう。
「なんだか、やることがないと何していいのかわかんないね」
「そうだろうか」
冬休みも半ば、間もなく大晦日を迎えるという寒い時期に、二人は臨海公園にいた。
年中オープンしている屋台からコーヒーを買ってきて、ベンチに座る。そのベンチも冷たく、自然と二人で寄り添うようになる。そんな近さに月森が顔を赤らめていると、知ってか知らずか香穂子がクスッと笑った。
「勉強が息抜きだなんて月森くん言ってたけど、私はこうしてるのが一番の息抜きかな」
「・・・そんなにおかしいことを言っただろうか?」
「うーん、実はちょっとどころじゃなくヘンだなとは思った」
そうか、と月森が俯いた。青みがかった髪がサラリと落ちて、表情が隠れてしまった。
「月森くんや、ほかの皆もそうだけど、音楽が中心なんだよね。私にはそれが難しいから・・・音楽が二の次とかじゃなくて・・・」
君の言いたいことはわかる、と月森が言葉を継いだ。
「君の場合は少し特殊だから、仕方ないだろう。しかし、できうる限り音楽を続けていることはいいことだ」
そう言うとコーヒーを一口含み、その温かさにほうっと息を吐くその白さに、また寒さを思い出させる。
なんとなく沈黙が二人の間を支配する。しかしその沈黙は心地いいものだ。付き合い始めたばかりの頃は、お互いに何か話題を探そうとぎこちないものだったが、今は優しい沈黙の、この時間がいいと二人は思う。それは月森と香穂子にしか作り出せない時間であり、空気なのだ。
「私ね」
ぽつりと香穂子が切り出した。
「私、ずっとヴァイオリン弾いていたい。おばあちゃんになっても、指が動かなくなるまで、ずっと。職業にするとか、そんな大きなことはできないけど、たとえ誰が聴いていなくても、弾いていたいんだ」
「・・・俺がいる」
「え?」
思わず聞き返した香穂子に、もう少し大きな声で月森が返す。空いている指・・・左手の薬指・・・をなんとなく撫でながら。
「誰が聴いていなくても、と君は言ったが、俺がいるだろう。君が弾くその音色ひとつであろうと、全て俺のものじゃないのか?君はそう約束してくれたと俺は受け取っているが」
香穂子の顔が一瞬にして真っ赤に染まった。月森に他意はないとわかっていても、今の言葉は香穂子には素直に受け取れない。こんな言葉で赤面するほど初心な付き合いをしていないというのに。
真っ赤になった顔を手で覆い隠してしまった香穂子の行動が一瞬理解できなくて、月森は自分の言動を思い返してみる。左手の薬指。音色さえ全て自分のもの。約束。
「あ・・・」
ようやく思い至った月森も「すまない」とだけようやく言ったきり黙りこむ。
二人揃って初々しいと周りが見ていたことなど知る由もないが。
「本当のことだ」
暫くの沈黙の後、口を開いたのは月森だった。
ずっと握っていた香穂子の手を、少し力を入れて握る。ほんの小さく握り返すその気持ちが嬉しかった。
「そう思っているのは本当だ。いつか、そうなれたらいい」
「・・・うん」
月森にしか聞こえないほど小さな声で、香穂子が頷いた。
そうしてまた二人の間を沈黙が支配する。
出会った時は、こうなることなんて予想だにしていなかった。香穂子のほうは「関わり合いたくない」とさえ思ったのだ。それが今、同じ将来を歩む約束をしようとしている。月森も香穂子も、今となってはお互いがいなくてはならない存在なのだ。
きっとこの気持ちは声にしなくても伝わる。
お互いを想うこの感情は、言葉にしなくても、ヴァイオリンの音色に乗せなくても。
(いとおしい)
(好きだよ)
声にならない。
声にできない。
そんな想いがあることを二人は同時に理解し、お互いに声に出さずとも伝わったことが嬉しかった。
2010.9.18UP