あなたの声が聞こえる

 




 毎年この時期になると必ずやってしまう。
 いつもなら周りに気付かせない程度には我慢できるのだが、あっさりと見抜いた香穂子には、何かそういったセンサーでもあるのかと思ってしまう。

「帰ろう、月森くん!」

 朝、いつものように香穂子を迎えに行き、いつものように出てきた香穂子が「おはよう」の挨拶もすっ飛ばして言ったのだ。

「は?」

「帰ろう!私、家まで送ってくから!」

 ちょっと待ってて!と閉めたばかりの玄関を開けて「お母さん!私今日遅刻するって学校に電話しといて!」と叫ぶなり盛大にガチャンと閉めた。





「ちょっとお台所借りるね。月森くんは着替えてね」

 お手伝いさんがいつもいるのだが、買い物に出かけているのか不在だった。
 仕方なく着替えて階下に行くと、香穂子の盛大な独り言が聞こえてきた。

「普段から私には体調管理も大事だって言うくせに、自分にはホント無頓着なんだから!えーっと、薬箱どこだろ・・・ゼリーと、飲むものと、薬で、あー体温計・・・薬箱どこよお・・・」

「そこにある」

 まさか聞かれていると思わなかったから香穂子が驚いて振り返った。

「聞いてたの?!」

「自分に無頓着だという自覚は多少なりともあるが、君に言われると少し心が痛む」

「ごっ、ごめん・・・」

 いや、と小さく首を振って、薬箱に手を伸ばす。香穂子には届かなかったのだ。「ありがとう」と受け取ると中から体温計と風邪薬を出してきた。

「これ、計ってね」

 体温計を手渡され、数字で見ると余計に嫌な気分になるからとも言えず、大人しくわきの下へ挟み込む。
 その間にプリンと白湯と薬を出されて、香穂子が隣にちょこんと座った。





「・・・8度4分」

 香穂子のこめかみに青筋が浮かんだように見えたのは気のせい・・・だと思いたい。

「こんな熱で学校行くつもりだったの?!もう寝てなきゃダメだよ」

 香穂子が見ている目の前でプリンを食べ・・・甘いものはイヤだと言う暇もくれなかった・・・薬を飲むと、2階の自室に押し込まれついでに、ベッドにも押し込まれた。

「今氷水とタオル持ってくるからね」

 寝ててね!と指をピッとさしてドアをぱたんと閉めた。



 急いでボウルに入れた氷水とタオルを持って月森の部屋へと戻る。

「お待たせ月森く・・・」

 言いながら覗き込むと。

「・・・寝てる」

 少し苦しそうに眉間に皺を寄せて、眠っていたのだった。
 寝てるのならそれが一番いい。
 氷水に浸したタオルを絞って額に乗せる。すると安心したように息を吐きながらわずかに微笑んだ。

「良かった」

 お手伝いさんは出かけてるようだと先ほど月森が言っていたのを思い出して、戻ってくるまで付き添うことにする。
 時々タオルを替えてやりながら、香穂子は持っていた楽譜に目を落とした。





 どこかから、誰かが呼んでいる声が聞こえる。
 最初は単なる「音」でしかなかったが、少しずつそれが「声」になっていく。

「・・・くん」

 優しいその声は、月森をひどく安心させる。
 もっと聞いていたいと願うのだが、覚めかけている意識がそれを許さない。

「つき・・・・・・くん」

 まだだ。
 もう少し。

「つきもりくん」

 君の声が聞こえるこの夢の中にいたい・・・!

「月森くん」

 ハッと目が覚めた。
 目の前に、申し訳なさそうに覗き込む香穂子がいた。

「寝てるところをごめんね。お手伝いさんが帰ってきたから、私帰るね。もうすぐお医者さんが来てくれるって」

 寝起きで頭がうまく働かない。
 それを承知している香穂子が、ゆっくりと繰り返した。

「私、帰るから。っていうか、学校行くからね。お手伝いさんが、今学校に連絡してくれてるよ。月森くん、ゆっくり休んでね」

「・・・香穂子・・・」

 額に乗せていたタオルが滑り落ちた。それをまた浸しながら「熱、だいぶ下がってきたみたいだね」と嬉しそうに微笑んだ。

「それじゃあ、月森くん」

 タオルを額に乗せたその手を、月森が掴んだ。

「・・・いてくれ」

「え?」

 驚いて見下ろすと、今までに見たことのない、不安そうな表情で月森が見上げていた。

「もう少し。ここに、・・・いてくれないだろうか」

「でも」

 学校に行かなくちゃ。
 けれど、月森は最強のカードを、今、出そうとしている。
 香穂子も何となく予感はあった。
 そう言われるんじゃないかという、予感。

「君がここでヴァイオリンを弾いてくれたら、よく休めると思うし、君も練習になるだろう?学校は今から行っても午後の授業が始まってしまうだろう。それなら休んでも同じじゃないか?」

「・・・不良学生め」

「君に言われるなら、何とでも」

 熱が下がってきていつもの月森に戻ってきたことに安心しながら、香穂子が少し考える素振りを見せた。

「何を考えている?」

「え、うーん・・・私がヴァイオリン弾いてたら、月森くん、逆に落ち着かないんじゃないかな」

 指とか、音とか、全部。
 それは全く気にならないと言えば嘘になるが、そこまで気を配れるほど回復していない。
 とにかく今はただ香穂子の音を聴きたかった。

「えーと、じゃあ・・・ひとつお願いがあるんだけど」

「何だろうか」

 少し恥ずかしそうに、香穂子が上目遣いで月森を見た。

「その前に・・・お弁当、食べていいかな」

 お昼を過ぎようとしているこの時間までずっと月森に付きっ切りでいたせいか、今になって突然お腹が空いてきたのだと、顔を真っ赤にするところがかわいいと思う。・・・言わないが。

「俺も何か一緒に食べよう」

「ホントに?ゼリーで大丈夫?」

 本当はあまり食欲はないのだが、そうすることで香穂子が気兼ねせずにいられるなら、それで良かった。
 喉が渇いているのは事実だし、ゼリーか何かを口にすれば少しは喉も潤うだろう。
 じゃあ、はい、と手渡されたゼリーを口にしながら、この後何を弾いてもらおうかと口元を緩めるのだった。















ヒトリゴト。(ブログより一部
風邪で寝込んだ月森。夢うつつで聞こえる香穂子の声。で、タイトルとなるわけです、はい。

 

 

2010.10.16UP