| 誰が望まずとも幕は上がる |
どれくらいの時間が経ったのだろう。
くぐもった音だが、かろうじてアナウンスが聞き取れた。
(もう、間に合わない)
暗闇の中で。
どん、と思わず目の前を叩いた。
「…月森くん?」
はっ、と顔を上げた。
閉じ込められたドアの向こうに、よく知っている声がする。
「・・・日野」
思わず、呼んでいた。
どうせ間に合わない。
今ここを出られたとして、ステージ袖まで走っていき、体裁を整え、集中して。
(無理だ)
「無理じゃないよ!まだ間に合う!月森くんが諦めたら、そこで全部終わっちゃうんだよ?!」
がちゃがちゃと開かないドアを懸命に開けようとしながら香穂子が叫んだ。
「諦めちゃダメだよ!」
「・・・どうして君は他人に・・・ライバルにそこまでする?」
いいじゃないか、ライバルが一人減るのだから。
コンクールで入賞できる確率が高くなる。
放っておいてくれ。
クローゼットの内側から淡々と告げられる言葉に、段々と苛立ってきた。
どん、とドアを叩いた。向こう側で月森が息を呑む気配がする。
「ライバルだろうが、他人だろうが、月森くんは月森くんでしょう?!月森くんが演奏する音楽だから価値があるんでしょう?私は聴きたいよ、月森くんのヴァイオリン。私の目標だから」
幾度となく言われてきた言葉だった。
月森くんのヴァイオリンは目標だから。
月森くんのようにうまくなりたい。
「君は、君だろう」
「・・・え?」
ドア一枚隔たっているせいでよく聞こえない。ドアにぴたりと耳を押し当てた。
「君は君だ、日野。俺の音楽を・・・ヴァイオリンを目指すのは構わない。けれど、真似をすることに価値はない」
「・・・真似?」
「そうだ。君は君の音楽があり、俺には俺の音楽がある。同じ楽曲でも異なる演奏になるように。目標とするなら誰にしても構わないが、あくまで君は君の音楽を志すべきだ」
「私の、・・・音楽」
これでコンクールのセレクションもこれで二度目だが、毎度いっぱいいっぱいの自分とは違って、月森は淡々とセレクションをこなしているように見える。けれどもその裏側では緻密に計算された技術と音色があり、それらは全て月森の時間を最大限に生かして作られたものだ。
そうやって作られた音楽を奏で、評価を得、自分の糧にしている。
「…月森くんこそ、ライバルに助言するのは、どうして?」
ふ、と月森が笑った。香穂子には見えないけれど、そんな気がした。
「さあ、どうしてだろうな」
スピーカーから拍手が聞こえてきた。・・・次だ。
「次だよ月森くん!まずはここを開けなくちゃ!いい?押してね!」
「・・・・・・ああ」
せーのっ!という威勢のいい掛け声と共に、それまで諦めていた月森の手に力が込められた。
何度も何度も。
やがて少しずつ開いてきたドアが、もう少しで開く、という時に。
「・・・・・・二年A組、月森蓮くん。・・・演奏する曲は・・・」
「ああああ!待って!もうちょっとで開くから!」
もう無理だ。
今回のセレクションは棄権扱いになるだろう。それは優勝争いから脱落することを意味する。
それでもいい。
望むことなく上がってしまった幕を誰も引き下ろすことはできない。
だから今回は諦めよう。
(でも)
「きゃああっ!」
ばんっ!と音を立てて勢い良く開いたドアの勢いで、香穂子が尻餅をつく。月森も、反動で前につんのめった。
「開いた!良かったぁ・・・。手は大丈夫?どこか痛い所とかない?」
「俺は大丈夫だ。君こそ大丈夫なのか?」
「平気だよ!よし、行こう、月森くん!」
ざわざわと観客の声がスピーカーから流れてくる。
もう間に合わない。
誰も望まずに上げられてしまった幕だけれど。
(間に合う、・・・かもしれない)
一縷の望みをかけて。
「走れ、日野!」
「うん!」
ステージ袖へと走りながら、月森は思う。
(もう幕は上がってしまった。今更間に合うはずがない。・・・それでも)
自分が音楽を続ける為に。
ヴァイオリンを引き続ける為に。
今諦めてはいけないのだと。
「諦めない・・・か」
月森が小さく呟いた。
ヒトリゴト。
アニメから引っ張ってきました。第二セレクションだかで、クローゼットに閉じ込められてしまう月森ですが、香穂子に助けられるシーンです。ちょうどクローゼットが開くシーンがなかったので、妄想補完で。
ドアが開いた瞬間に、反動で月森が香穂子に抱きついてしまうパターンも浮かんだのですが、・・・そっちが良かったかな?
2011.8.17UP